姫路の不動産会社 エステート・リードのスタッフが、日々学び、考えたことを綴ります。

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2010年1月アーカイブ

生きる

生きる

一人の人間が生まれるためには二人の両親がいる。その両親が生まれるためには、それぞれの両親がいる。二代で四人、三代で八人、四代で十六人である。

このように命の起源をさかのぼっていくと二十代で百万八千五百七十六人、
三十代で十億七千三百七十四万千八百二十四人、という人数になる。

五十代、六十代とさかのぼれば、天文学的数字となる。

 

 

その祖先のうち、一人でも欠けていたら、私たちの命はない。

命の炎が一回でも途切れることなく連綿と続いてきたころこそ、

私たちは今、この世を生きている。先祖からの命の炎を託されて、

私たちはこの世を生きている。

 

 

 この事実を受け止める時、粛然とした気持ちにならざるを得ない。

 

 

生きるとは単に生き永らえることではない。先祖から預かった命の炎を

精一杯燃やしていくことである。


切に生きるとは、ひたすら生きることである。

いまここの一瞬一瞬をひたむきに生きるということだ。

何かに懸命に打ち込む時、生は本然の輝きを放つそうだ。

 

一生懸命になって精進する人と、怠けてやる人との間には

当然早いか遅いの差が生じる。

精進するか怠けるかは志が切実かどうかの違いによる。

志が切実でないのは、無常を思わないからだ。こうして生きている

時間を大切にして、自分を磨いたりしなければならない。


 

この一か月を通して、この日めくりカレンダーによって多くの

学びがありました。

 

人生を改めて考えさせられました。

 

表面的な言葉から、深くさぐっていき、言葉や表現の背景を調べたり

考えたり…その中で、ひとつ、ひとつの言葉の意味を再認識したり、

初めて知ったり…でした。 まだまだ知らないことが多い…。

 

 

それぞれが、印象に残る言葉は違い、そこでの自分自身へのメッセージを

感じ、勉強し始めることができ始めたように思います。

本当に良いこととなりました。

 


まず、いま生きている事に感謝。あたりまえの事に感謝。

人は、人で輝く。

人間の根についての根の育て方。自分次第で何もかもが変わり始める。

覚悟とはetc...

 

中でも私は、根については、深く考えさせられました。

この祖先から受け継いできているこの命、そのものが根にも結びつく

のではないかと感じました。

深く沢山の栄養を注ぎ入れなければいけないと思いました。

その栄養の中には、美味しい栄養もあれば苦く吐き出したくなるような

養分もあるかもしれません。

根を(自分自身の格を)育てるために必要と認識し苦いおいしくない養分も

とらなければ、その根は病気になり、弱い根になっていくんだと思いました。

どんな嵐がこようとも、動じない木になるための根を張っていかなければ

いけないです。

 

先祖の方々や、父母を敬い、感謝の気持ちがあれば、自分自身がそこに恥じない生き方をしていけると思いました。わが子が、ひと様の役に立つ人間に

なってくれたら、親は喜びます。幸せのリレーができます。

世の中の為に、周りの方の少しでも役に立つために、習得しなければいけないことがたくさんあります。努力していきたいです。

 

明日から、二月です。カレンダーはリピートします。今月とちがう視点での勉強をしていきたいです。

正しい国語力を身につけて、言葉という素敵なアイテムをどのように使えるかは、自分自身の経験、勉強や、難関(苦手)を乗り越えてこそ、身についていくと思います。

みんなで、会社の「根」をしっかりと、根付かせていきましょう。

花は香り人は人柄

 

花は香り
  人は人柄
 

これである。見た目にいくら華やかで艶やかでも、造花には真に人を引きつ

ける魅力はない。人もまたいくら実力があっても、傲慢で鼻持ちならない人

に人間的魅力はない。

 

「人生の大則」から

 まず自分を創ること。自分という人間を立派に仕上げること。

 そして、徳の香る人になること──六人の先哲がその生涯を通して

 語っていることは、その一点に凝縮される。

 これこそ人生で一番大事な法則、これを遵守すれば人生は絶対に

 大丈夫という原則、すなわち人生の大則であろう。


 では、どうすれば自分を創ることができるのか。

 六人の先哲の言っていることは、概ね次の三つに集約されると思う。

 

 一つは、人生に対して覚悟を決めること。覚悟を決めない限り、

     真の人生は始まらない。先哲は繰り返しこのことを説いている。

  

  沖縄の漁師が言ったという。

 

  「遠洋の漁場に出ようと決めると、風が起き、帆がざわめき、

   波が立ってくる。だが、まだ覚悟が決まらない船には風が

   起きんのよ」


   人生もまた然りである。


 

 二つは、 傲慢になるな、謙敬(謙虚で敬い、慎むこと)であれ、

      と教える。

      不遇のときには謙虚だつた人が、うまくいきだすと

      傲慢になる。人間の通弊である。だが傲慢になった時、

      天は人の足をすくう。その事例は数限りない。

 

 

 三つは、 誠実であれ、ということ。

      誠実は古来聖賢がもっとも大事にした人間最高の徳目である。

 

 

 あえて、もう一つ付け加えれば、「久」であろう。久しく続けることで、 

 人生の大則は揺るぎないものになる。

 

 

 

  最後に二宮尊徳の道歌を紹介したい。

  

  父母もむその父母もわが身なり  われを愛せよ我を敬せよ


  あなたの命はあなた一人のものではない。

  父母、その父母と幾世代にもわたり、連綿と続いてきたからこそ、

  あなたの命がある。あなたの身体の中には幾百万、幾千万という

  先祖の連綿たる命の炎が燃えている。

 

  そういう尊い命の結晶が自分であることに深い思いをはせ、

  自分を愛し、自分を敬うような生き方をしなければならない。

 

  私たちが決して忘れてはならない、人生の大則がここにある。

                   小さな人生論より

 

 

 

  今になっていろいろな事を思い返すと父母に感謝したい気持が

  いっぱいになります。

  私が通っていた中学校、高校は、カトリック系の女子校だったの

  ですが、父が、その学校の校風や、理念に共感し素敵な女性を

  目指せるように入れてくれたのだと思います。

  その指針を改めてよく感じてみなおしてみると素晴らしいでした。

    

     行動・教育

        

       愛徳・純潔・謙譲・信頼・勤勉という
       五つの徳を心に
       強い意志と正しい判断力,
       高い知性と豊かな教養に富む
       強固な意志と鋭敏な良心をもった
       女性の育成を目指しています。

     

     精神性

        『白ゆりのように清らかで,
        すみれのようにつつましく,
        ばらのようにまわりの人に
        ほのぼのとした喜びを与え,
        フリージアのように
        徳の香り高い人になりましょう』
 
        という『魂ゆずりの言葉』により、先輩から後輩へと

        受け継いでいく。

  

     校訓
        ・ 心清きものは幸いなり
            (聖書の言葉,マタイ5章より)
        ・ マリア様、いやなことは私が喜んで
            (学園創立者 江角ヤス先生の言葉)

     祈りにあふれた1日
 

       朝礼の聖歌,聖書朗読で一日が始まります。
       授業などの始まりの挨拶には必ず,
       「心清きものは幸いなり」という
       聖書の言葉をとなえます。
       これは,自分の心の清らかさと,
       周りの人々の幸せを願う祈りです。


                    という学校でした。


本当に、今頃いろいろ、改めて素晴らしさに気づける事が出来ました。

その頃は日々、実践させて頂きながら、徳を高め素敵な女性を目指して

いたものでした。それがいつしか、忘れてしまっていて、なかなか、

つつましい女性にもなれず…ただ、歳をとってしまったかもわかりません。

ただ、知らず知らずのうちに心の奥底に、根付いていて精神性は育まれて

きたのかもわかりません。

遅いかもしれませんが、誇りをもち活かして魅力ある人間にならなけれ

いけないと思っています。せっかく環境をもらっていたのに…いつまでも、

未熟者でごめんなさい。

 

 

そういう環境を与えてくれた両親に感謝し、母校の恩師に改めて感謝いたします。ありがとうございます。

根は大事である。

根は大事である。

 

今日の日めくりカレンダー

植物が生き生きと生育していくのに欠かせないのが根である。

土中の目に見えない働きがあって花は咲き、葉は生い茂る。

人間も然りである。人が人生という時間軸の中で自らの花を

咲かせていくには、根がなければならない。

根を養っていない人はいささかの風にも傾き、倒れる。

植物も人間も自然の摂理の前には等しく、平等である。

 

 

「八風吹けども動ぜず天辺の月」

という禅の言葉がある。八風とは人心を動揺させる八つの障害の

ことである。

 利・衰(り・すい 利益を得る・失う)

 毀・誉(き・よ 陰でそしる・ほめる)
 

 称・譏(しょう・ぎ 面前でほめる・悪口をいう)
 

 苦・楽(く・らく 心身を悩ませる・喜ばせる)
 

 心の根をしっかり養っておくことの大事さを、強風の中でも

 微動だにしない天の月に譬えて、禅者は見事に詠じている。

 

 

 では、人間の根はどうしたら養えるのだろうか……。


 釈迦は人間を悟りに導く方法として「六派羅密」を説いた。

 

 「六派羅密」とは


   布施  与える

   持戒  自らを戒めるものを持つ

   忍辱  苦難や嫌な事を耐え忍ぶ

   精進  仕事に一生懸命打ち込む

   禅定  心を落ち着かせる

   智慧  布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五つの修養を努めていると

       生まれるもの

 

 これは、そのまま、心の根を養う実践徳目であろう。

 

 中で特に『根』を養うのに大事なのが【忍辱】ではないだろうか

 

 人生の難関辛苦に耐え忍ぶ。植物が厳しい風雪や干天に

 さらされるほど強く根を張るように、人間の根もそこに

 養われるものである。

 


 

 

   相田みつを氏の詩に独自の境地を書いたものがある。


         なみだをこらえて

         かなしみにたえるとき


         ぐちをいわずに

         くるしみにたえるとき

         いいわけをしないで

         だまって批判に耐えるとき

         いかりを押さえて

         じっと屈辱にたえるとき

         あなたの眼のいろが

         深くなり

         命の根が

         ふかくなる


  長い苦節に耐え、深く静かに自らの根を養ってきた人の言葉は重い。

 


  いろいろな難しい言葉での教えがいっぱいありますが、

  自分がどう生きたいか、どうしたいか、

  それによって、真剣に大切に生きるだろうし、

  自分だけでは幸せになれないし、周りの人が

  笑顔で幸せでなければ、自分自身が真実の幸せを

  掴むことはできないということに気付き、感謝の

  気持ちを持ち、自然に六派羅密を養い、根が張り、

  しっかりとした人間の核や土台をつくっていくの

  ではないのかと思いました。

  命の根を深く養うために、六つの実践徳目を心がけていきたいです。


『本当の楽しみ』

 

                        by/N.E

 

 

知らないことが出てきた時。課題がクリア出来た時。課題に気づけた時。
人は、全く手の届かないものは諦めます。
しかし、自分なりに勉強出来そうであれば、チャレンジします。
なんとかしないといけない状況下では、なんとかしようと考えます。

 

知らないことを知ろうとする時、知った時は、楽しいです。
知らないことが分かった時は、成長です。

 

それも実際の現場で知ることができるのは幸せです。

 

本や雑誌に書いていることだけで限界があり自己解釈で終わる可能性もあります。
生の現場で実感出来る事は、人から教わる事は、とても貴重な体験です。

 

仕事をしている時間が生きている中で一番長いです。
それをいかに楽しく自分のものにするか、それが人生の課題のような気がします。

 

年を重ね、経験年数が経っても、もうこれで大丈夫だという終わりはないと思います。
年を取り、経験を積むほどに、さらなる課題が訪れて、またそれに挑む・・・

 

なぜ、挑む?

 

今までの経験上、知らないことを知る楽しさを知っているからです。

そういう時こそ仕事の幅が広がります。

 

知らないことで、自分でできそうなことを見つけることが成長につながるのではと思います。
やってみよう!やってみたい!やろう!
仕事に、課題に、生き方に興味をもつと、きっと良い仕事が、良い生き方が出来ます。

 

嫌だなと思って仕事に、課題に挑んでいる間は、仕事以前に、全てに嫌気がさしてきます。逃げたくなります。
そんな場面に必ず、みんな出くわしているはず・・・

 

嫌なことから逃げる、人のせいや環境のせいにしてごまかす・・・それは、自己防衛。
そうしてると、一時は楽になれるかもしれませんが、その後は、もっと大きな課題がきっとやってきます。
1つずつ壁を乗り越えていかなければ、壁の乗り越え方も、それが壁なのかも気づかない状況になってしまって、解決する方法が分からなくなります。

 

結局は、自分で自分を追い込んでる事になってしまいます。

 

大なり小なり壁は、必ず成長段階ではつきものです。
どのような心構えで、どうやって壁を乗り越えるか?

 

乗り越えた時、気持ちはどんなでしょう?

 

乗り越える前と乗り越えた後は、どんな変化があるでしょう?


まず最初の壁は、物事、環境、人ではありません、自分自身の心です。


乗り越えた時、本当に自分の生き方や、仕事の楽しさが・・・

本当の楽しみが見つけられるはずです。

 

感謝報恩

私たちの生命は天地の法則の中に生かされている。

常に天地に守られている自分の立場を考えたなら、先ず、天地に感謝する

氣持ちが起きるのは当然である。
  

 

感謝の心は、砂漠の中のオアシスである。
一人一人が、天地から生まれた自分自身を自覚し、天地に生かされている身の幸福を感謝しなければならない。                                                             「氣の実在」藤平光一著 より抜粋


 天地の法則に生かされているというと何か難しいことのように思いますが、改めて一つ一つを具体的に挙げて考えてみますと、当たり前のように思っていることが実はものすごい天地(宇宙)の計らいであることに氣づかれるのではないかと思います。

 

 例えば

1.地球が公転・自転していても、遠心力と求心力(重力)の調和が保たれ
  ている。

2.太陽からの適度な光と熱が絶えず供給されている。

3.太陽の有害な紫外線をカットするため、地球の周りにオゾン層が形成さ
  れている。

4.全ての植物は、光合成作用で酸素を出し、二酸化炭素を吸収している。

5.そして全ての動物は、吸酸除炭作用を行いバランスを保っている。

6.太陽系の天体は規則正しく一定の周期で公転している。etc・etc

 

 

 感謝を表す言葉「ありがとう」、これは「有り難し」から来ていて、

  通常滅多に 「有り得ないこと」「存在しないこと」を、神や仏が

 起こしてくれた場合に、これを褒めたたえ賞賛する言葉として

「ありがとう」という言葉が存在したようです。


 

  私たちが日常生活において「ありがとう」と言う言葉を使うのは、

  人に何かをしてもらった場合、困ったことを助けてもらった場合

  のように、その結果に対して感謝をするということが多いと思います。 

 

しかし、

  1.私達が当たり前だと思っていることが実は当たり前でなく、

      偉大な天地の計らいによるものだということをがわかった時
 

  2.すでに毎日を平穏で健康な生活を過ごしていることが、

      これ以上無いほどの喜びや幸せであるということがわかった時

 

  3.相手がいるから自分も何かをさせてもらえるのだということが

      わかった時
 

 

    その全ての瞬間瞬間に「ありがとう」という感謝の氣持ちが

    湧き起こってくるのでははないでしょうか。 

 

   感謝の言葉・心は、砂漠の中のオアシスであり、私たちを進化向上

    させてくれるための土壌であるようです。

     又、人間社会における潤滑剤でもあるし元氣の素でもあるようです。

 

 

    氷の結晶も「ありがとう」の言葉できれいに花開くことがわかっ

     たら、いつも「ありがとう」の感謝の言葉を出して、地球上に良い

     氣を発散していこうではありませんか。
 

   

    宇宙は百億くらいある。その百億の宇宙の一つがわが地球の属する

    銀河系宇宙だと、銀河系宇宙の大きさはほぼ分かっている。

  楕円形で光の速度で直径が十万年、厚さが一番厚いところで

  八千年かかる距離だという。あまりのスケールに言葉もない。

 

  その宇宙の中で地球だけに生命が宿されている。

  宇宙から見た地球はものすごく美しいと宇宙飛行士たちは口を揃える。

  地球に住む生命体が発するオーラが、地球を美しく輝かせているのに

  違いない。
 

 

  その地球に住む生命体に宇宙は等しく天敵を与えた。

  天敵がいなければあらゆる生命は増長し、蔓延、跋扈する。

  それは調和を愛する宇宙の心に反するということだろう。

 

  ただ、限りない生命体の中で人間にだけ天敵がいない。

  なぜか。長い間の疑問だったが、ある時思い至った。

  人間の天敵は外ではなく、心の中にいるのだ、と。

 

 

  人間を襲い、蝕む天敵。それは心の中に巣くう不平不満である。

  事あるごとに湧き起こってくる不平、不満、愚痴こそ、

  人間を滅ぼす天敵である。

 

 

    恩とは、「口」「大」「心」から成っている。

    「口」は環境

    「大」は人が手足を伸ばしている姿

    「心」何のおかげで手足を伸ばしておられのかと思う心

     『恩を知る』とはそういうことなのである。

 

 

 

 昨日は、毎年恒例の四国の金刀比羅宮金毘羅様と淡路島の七福神弁財天様  

 にお参りに行かせて頂きました。

 

 お参りに一緒に行ってくれたメンバーと定休日にも関わらず、契約決済の 

 業務だったり、売上を上げるための準備や営業活動に出勤してくれた営業

 のみんな、本当に、会社をみんなで支えて、支えあってくれているという

 ことを実感しています。

 

 

 恩知らずになって、信用を落とさないように、堅実に誠実に感謝の気持ち

 をもって生きていきたいと思っています。

 

みんな、ありがとうね~。


     

日々の行動

「中村文昭氏が師匠に教わった4つの行動哲学」

         中村文昭(クロフネカンパニー社長)

               
(師匠の田端さんとの生活の中で)
大切なのは、日々の行動なんだなということを教えられました。
それを突き詰めれば4つに集約されるんですが、
非常に分かりやすくて、小学生にもできる簡単なことなんです。


まず、僕らは田端さんに対してノーはなかったんです(笑)。
何を言われても、返事は0・2秒でハイ。
普通は、返事をする前に
いったん考えてしまうんですね。

でも、そこで考えることって、要は損か得かなんです。
損得で返事を迷うんですよ。
そうすると、


「おまえみたいな勉強もできんあほうが、
 考えたらいかん。損得考えずにすぐハイだ。
 まずは素直に受け入れ、やってみることだ」


と叱られました。


    * *


2つ目は、
 
 
 「頼まれごとは、試されごと」
 
 
だというんです。

ものを頼まれるのは、面倒くさいことだと考えがちです。
だけど、頼まれるということは、
その人から試されているということだ。

だから、頼んだ相手を驚かすくらいのことをやれ。
徹夜してでも「おまえ、すごいな」と相手をビックリさせろと。

だけど、この2つを理解しても、
いざ体を動かそうとするとブレーキがかかるんです。
そのブレーキになるのが、できない理由なんです。

何か大きなチャンスが巡ってきても、
でも俺は人前でしゃべるのは苦手だからとか、
でも俺はやったことがないしとか、
できない理由をあれこれ並べて逃げる。

だけど田端さんは、
僕たちができない理由を言おうものなら、


「やってもいないうちから何がムリだ!」


と叱られるんです。


「本で学ぶこともできれば、
 人に聞くこともできる。
 やってダメならやり直せばいいだろう!」
 

って。


    * *


だから3つ目は


「できない理由を言わない」。


    * *


4つ目は、


「いまできることは山ほどある」


と言うんです。だから、

「『そのうち』という言葉を吐いて先送りするな。
 いますぐやれ」と。
 

簡単でしょう。これを皆で毎日続けていたら、
目の前の景色がどんどん変わっていったんです。
だって、親分がああせい、こうせいと言うと、
全員揃って0・2秒で返事をし、
あなたの予測を上回りまっせと体を動かし、
誰もできない理由を言わず、
先送りせずすぐやるわけでしょう。

これを続けていたら、協力してくれる人がどんどん増えて、
1年で六本木にショットバーを出すことができたんですよ。
僕は小学生の前でも講演を頼まれることがあるので、
この体験談をおもしろおかしく一所懸命に話すと、
みんなハイハイ手を挙げて、


「きょうからお母さんにお使いを頼まれたら
 0・2秒で返事をします」
 
「お母さんの予測を上回る速さで行ってきて、
 お母さんからまず味方につけます」
 
「両親を味方につけて、大きくなったら夢を叶えます」


ってやる気満々で宣言するんです。
だけど、大人ができないんですよね。


「でも」っていう悪魔のひと言を
つぶやいて諦めてしまうんです。

僕は結構意地悪なところがあって、
以前は講演した後、参加者の帰り道の脇に隠れて、
ひそかに反応を確かめていたんです(笑)。
そうすると、

「おもしろい話だった」
「元気をもらえた」
「きてよかった」

と拍手してくれていた人たちが、大概言うんです。

「でも」って(笑)。


「でも、あの人は特別なんだろう」
「でも、私の立場は違うし」

と聞いた直後に言っている。
残念ですが、そういう人は変われないんですね。

熱意・誠意・創意

熱意・誠意・創意


人が仕事を成就するために欠かせないもの、それが熱意であり、誠意であり、創意である。


熱意のないところには何も生まれない。熱意、情熱こそ創意の源泉である。物事を創始した人はすべて、ただならぬ情熱の権化である。例外はない。


松下幸之助氏がこんな事を言われている。

「二階に上りたいなぁ では、まだまだ駄目である。なんとしても二階に上りたい。そんな熱意がはしごを生み出す。」
「二階に上りたいなぁ」とは誰もが思う。しかし、その程度の思いでは二階には上ることはできない。「なんとしても」という熱い思い、たぎるような思いがあって初めて、二階に上るためにはこうしたらどうだ、ああしたらどうだ とひるも夜も考え詰めることができ「はしご」という手段、方法に思い至るのである。

この熱意と車の両輪をなすもの、それが誠意である。

 

 

 

人間、情熱だけで突っ走っても、それなりにうまくいくものである。しかし、それはあくまでも、一時期である。人間としての誠実さを欠くと、必ずどこかで崩れる。歪んだ結果しか手にできない人生になってしまう。

 

「誠は扇の要」という。小さな要があることで扇はその形を保つ事ができる。要を外せばバラバラになってしまう。どんな才能、、才覚、、情熱があっても、誠実という要がなかったら、その人生は真の結実に至ることはできない。

 

また、「至誠神の如し」ともいう。誠心誠意を尽くすとき、人間業とは思えない、さながら神の仕業のようなことが出現するというのである。胸に刻むべき人生の法則である。

 

そして、創意である。絶えず創意工夫する。昨日よりは、今日、今日よりは明日と常に前進するために、ああしよう、こうしようと考え続ける。そこに仕事の飛躍が生まれる。

 

創意のもとになるのは教養である。そこに人が勉強し、幅広い人間的教養を積んでいく意義と必要性があるのである。


 

昨日は、早速社員のEさんや、Dさんがブログを投稿してくれました。

大変嬉しく思いました。今年に入ってからの朝礼での学びや会社の雰囲気から何かしら感じ取ってくれて、想いを綴ってくれました。

 

「今を生きる」という大切な事に気付き、自分たちに出来る何かをと…取り組んでくれた事に嬉しさと感謝の気もちでいっぱいです。

Eさんのメッセージにもあったように、人と比べない。今の自分を愛し認め、そこから始まる  と……。

 

仏法の中に


                       桜 梅 桃 李
おうばいとうり・・・について(桜=さくら、梅=うめ、桃=もも、李=すもも)

 

 


                  桜は桜 梅は梅
                  桃は桃 李は李
                 どんな花も美しい

               それぞれが それぞれに
               力一杯 咲いている

                もう少し赤ければ
                もっと花が大きければ
                そんなこと
                これっぽっちも思わない

               それぞれが それぞれに
               ただ ひたすらに
               咲いている

               人間も同じだ
               どんな人も美しい
               どんな人も素晴らしい

              それぞれが それぞれに
              力いっぱい生きている

             人をうらやむことはない
             自分でなければならない花を
             自分らしく咲かせよう
             力一杯 咲かせてゆこう

             それこそが

                       桜梅桃李

 

       花のように 人間も その人の持つ素晴らしさや
       個性、特徴や力を存分に発揮して強く生きていくという意味です 

進化するために

 

                                            by/S.D

 

 

今年から、朝礼の日めくりカレンダーが新しいものになりました。

 

上司が私たちの為に用意して下さった「小さな人生論」の日めくりカレンダーは、
今までの日めくりカレンダーよりも難しい。

 

1回読んだくらいでは、意味も分からず、思いつきやノリでは発表できません。

その為、皆、事前にカレンダーを読んでおき、意味やその背景にある話などを

調べ考え、朝礼で自分の意見が発言出来るよう、皆の発言が理解できるよう、

それぞれが学んで朝礼に挑んでいます。

そうすることによって、朝礼がものすごくレベルアップしました。

 

 

自分自身も変わりました。前の日に次の日のカレンダーの勉強をする。
 

そして、次の日の朝礼までにいろいろ調べ、いろいろ考え、自分自身を振り返る。

そして、自分の思いを聞いてもらい、皆の意見を聞かせてもらうことによって、
 

カレンダーの意味、伝えたいこと、皆の今の思いを自分に落とし込む。

なんと言葉にしていいか分かりませんが、楽しいですし、とっても自分の為に

なっています。

 

 

前の日に、自分一人で考える事が私にとってはとてもいい時間になっています。

 今の自分を振り返り、なりたい自分を思い浮かべる。
 

そうなる為に、今、ここで自分が出来ることは何か、何をしなければいけないの

かが頭に浮かんでき、今月のテーマ「目的を持って仕事に取り組もう」ということ

が、いかに大切かがよく分かりました。

 

 

今の恵まれた命・環境に心から感謝し、今自分が出来る精一杯の事をし続け

ます。
 

努力することを怠らず、自分に負けず、進み続けます。
 

これが、私の今年の目標です。 

Eさんが書かれていたように私らしい、私自身の「花」を咲かせます

『花を咲かせる』

 

自分を変えること                                       by/N.E

 

 

 

自分は変えられるのでしょうか?

他人を変えるのは難しい、でも自分を変えることで、人も変わるのではないか、という意見もあります。

そもそも、自分が変わっていくことは良い事であり、それが進歩だという

意見がほとんどではないかと思われます。

 

人は自分を変えるためにあらゆることをします。

自分を変えたいという欲求はとても強いものがあるようです。

 

外見で行けば、髪の毛を染めたり、化粧をしたり、おしゃれをしたり、

整形をしたり、ダイエットをしたり、内面でいけば、自己啓発の本を

読んだり、いろんな人から教えを頂いて自分の心磨きをしたり・・・

自分を変える為のあらゆるテクニックを試みます。

 

自分をよりよく見せ、よりよく物事ができるようになり、すばらしい自分に

なっていく。

それが自分に対する挑戦であり、人生の目的のようにも思われます。

すべてはそのための努力でもあるようです。

でも自分を変えようとするのは、どのような視点で、どのような理由で、

自分を変えようとするんでしょうか?

自分を変えようとする思いは、通常、今のままでは自分はダメだ、

今のままでは価値がない、不十分である、という思いが根底にあることが

多いのではないでしょうか。

つまりそういう自己否定から、劣等感から自分を変えようとするわけです。

 

そういう自己否定や、劣等感はそれ自体がエネルギーとなり、それでもって

大きな事業をやり遂げ、成功し、偉人となった人のお話しもあります。

松下幸之助氏は、幼少時代充分な教育を受けれなかった事に劣せず、

逆に、だからこそ学ぶ力を養い続けられ、学校教育では、教えられない

人生哲学のような学びを得られたのだと語っておられました。

それが資本主義の競争社会、弱肉強食の中で成功していくための

方法でもあったわけです。


自己価値に悩まされる人は、今の自分でいいわけがない、自分は役に

立ってるのか、逆境にたった時・・・自分はダメだ

今までそんな事習ったことがない・・・なんでそんな事がおこるのかと

自己判断でジャッジしてしまうのでしょう。

そうした場合、その人は自分の心で勝手に自分を批判し、判断していること

になります。

 

そして、自分を批判するという事は、自分を受け入れてないから

批判してしまい、気がつけば他人を、環境を批判してしまい、

その状況にすら気づかないという悪循環に陥ってしまいます。

 

もし、あるがままの自分を、そのままを受け入れて愛することが

できるなら、そこには自分を、他人を批判する考えは浮かんで

こないはずなんですね。

 

それはちょうど薔薇の花は薔薇の花で美しく、

タンポポはタンポポで美しい、というのと同じことです。

 

またつぼみの時は、つぼみのままで美しく、早く花を咲かせなければと

急ぐ必要もないわけです。

 

無理につぼみをこじ開けようとすることでその花を破壊してしまいます。

 

自分自身の花を咲かせればいいのです。

それにはまず、自分を知ること、自分の良い面悪い面、長所短所、

すべてを自分で認識し、受け入れ、改めるべきを改め、伸ばすべきを

伸ばす。

人それぞれユニークであり、自分独自の才能を持っています。

その人自身の価値を持っています。

自分のあるがままを評価し、受け入れ、愛することから、

自然と内側からの変化が訪れることはあるでしょう。

でもそれは外側から、別の価値観や信念、考えで持って無理やり

人や自分自身を変えようとすると、そこで拒絶が生まれてしまいます。

 

ただ、自分の事なので、ずっと長年身体に志向に染み付き、

他人からみると間違った言動思考も、自分自身では、いたって

普通で当たり前の事。なので、他の方から、指摘を頂いたときは、

自分はこうだと思っていたけど、こういう考えもあるのか

人によってはそうみえるのか・・・じゃあ、自分を振り返ってみよう。

そこからスタートして素直に受け止める事が大事なことだと思います。

 

 

心の底から、変わりたいと願う気持ちが、心を素直にし、

他人の意見を受け入れ、自分を磨く最善の方法だと思います。


自分としっかり向き合い、あるがままの自分自身を受け入れ、

愛することから自然と内側から変化していくことです。


それはタンポポが薔薇ではないからといって非難するのではなく、

タンポポを薔薇に変えようとしたり、黄色の色を赤く染めようと

するのでもなく、無理やりつぼみを開けようとするのでもなく、

ただ自然と芽が出て、つぼみとなり、花が咲き、そしてタンポポの

綿毛となって種が風に吹かれて散っていく変化を見守るようなものです。


どうせ咲くなら、全力で綺麗な花を咲かせたいものです。

 

「いま、ここ」

 


25日の日めくりカレンダー

 

 

やがて死ぬ  けしきは見えず 蝉の声

という芭蕉の句がある。

 

蝉の寿命は一週間といわれる。しかし、そんなそぶりも見せず、

蝉は与えられた夏の一瞬の生を天地いっぱいに、鳴いている。

 

「いま」「ここ」に完全燃焼している姿を芭蕉は感動をもって、

 とらえている。


 人生には「いま」という時間と、

「ここ」という空間以外には存在しない。

 生きるということは、「いま」「ここ」を間断なく生きる、

 ということである。

 

 

 禅者のいう「生也全機現」とは、いまここを最高に生ききれ、

 ということである。その時に命は全機(すべての働き)を現出させ

 「いま」「ここ」に全力を尽くす。------


 そういう生を生きたいものである。

 この世に存在するもので、どうでもよいものなど、一つもない。

 

 夏の炎天下、焼けつくようなコンクリートのうえを、小粒の蟻が、

 ひからびたみみずを、必死に引っ張っていくではないか。

 蟻にひきくらべて、自己の心は、何とたるんでいることか、

 深く自戒させられた。

 「生は来にあらず、生は去にあらず、生は現にあらず、

  生は成にあらざるなり。しかあれども生は全機現なり、

  死は全機現なり。」          『正法眼蔵』


  

 道元禅師の教えを、蟻が実行しているのに、人間のお前は何をしている

 のかと自分を叱る。生きる一瞬に、すべての働きを、あますことなく

 現す。死ぬ一瞬に、自分の持っているすべての働きを、これ以上ないと

 いうところまでもっていく。人生はこれで決まる。

 

 

 昨日できなかった仕事は、今日やればよいし、今日、間に合わなかった

 仕事は明日へ延ばせばよいと、誰しも思って生きている。

 道元禅師は、この考え方は、根本から誤っていると烈しく(はげしく)

 説く。

 

 昨日は、昨日で絶対であり、今日は今日で絶対、明日は明日で絶対

 なのだ。

 「しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありと

 いえども、前後裁斷せり」

   薪が燃えて灰となる、灰が元の薪に戻ることはない。
  人が死んでふたたび生き返ることはない。死は生にならない。
  薪が先、灰が後と見てはいけない。
  薪の人生にも、先があり後があり、前があり後ろがある。
  その前後は際断されている。
  すなわち過去・現在・未来はあるとしても、
  その前も後ろも際断されていて存在しない。
  薪にあるのは「今ココニ」という絶対的な時間だけしかない。
  過去はなく未来はなく、生きてある「今ココニ」。
  生は生の法位にあって完結し、死は死の法位にあって完結している。
  そこに因果・前後関係はない以上、「不生」といい「不滅」という。

 

 

 

 

 

 一瞬一瞬が絶対なのだととらえて、一瞬の自己を現前していく。

 そのすばらしい一瞬の自己がつみかさなって、人生ができあがって

 いくのである。

 

  

 いま、いる。この一瞬こそが、人生そのものであり、前後裁斷

 (前もない後もない。いまこそが人生。)の 尊い生命なのである。


 

 生きる=仕事 無心に誠実に精一杯 いまを生きたいと思います。

社長通信

新しい年を迎え、1月も最後の週となりました。
遅ればせながら、ご挨拶を申し上げます。

旧年中は皆様には格別のお引き立てを賜り

心よりお礼を御礼を申し上げます。
 

どうか本年も変わらぬご愛顧を頂けますよう宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

さて、2010年の社長方針は、

『本年を更なる成長と発展の年にする為に感謝力を磨き、

  個人の国語力と人間力を向上させ、企業力と組織力高める。』

  となりました。
 

  私達はこの目標を達成する為に、更なる自己研鑽に努め、

  励みたいと考えます。

 

  弊社は昨年末にスタッフ全員が新年の個人目標を設定し社内に掲げまし  

 た。そのそれぞれの目標を達成することは、結果として会社を成長させ、 

 繁栄することに繋がります。私自身もお客様やお取引様の多くの方々と

 スタッフのみんなに支えられ、今があります。

 その感謝の思いを少しでも皆様にお返しができる様にする為には、

 私自身と社員全員が豊かな心を持ち、成長し続けなければなりません。

 そしてそれは学び続けることだと思います。

 

 仕事と人生は一対のもの。仕事から学ぶことは人生を豊かにし、

 自分を成長させ、そして人を幸せにできることだと思います。

 私はまだまだ力不足ではございますが、今後もみんなと共に 

 頑張って行く所存でございますのでどうか宜しくお願い申し上げます。


 
 振り返って見ますと私達は昨年1年間で沢山のことを学ばせて

 頂きました。
 

 

 仙台でのマザーアースコンサートを始め、東大阪のまいど1号の青木豊彦 

 さんの神戸での講演、姫路でのパナソニック終身客員の木野親之さんや

 てっぺん大島さんの講演、日創研の研修参加、そしてタラサ志摩での

 今野華都子先生の洗顔教室全国大会への参加等、みんなで大変多くのこと 

 を学ばせて頂きました。

 

 そして、毎日の朝礼に於いては『理念と経営』のコーチングカレンダーや 

 月刊致知による日めくりカレンダー等を活用することにより、全員が発想 

 力と発言力を養い、毎朝非常に高いモチベーションで仕事を始められるよ 

 うになりました。

 

 

 

 特に本年度、活用させて頂いている「小さな人生論」の日めくりカレンダ 

 ーは、昨年までと違い、非常に奥深い、感慨深いものがあり、思いつきで 

 語れるものではなく、社員一人ひとりが、自主性をもって、事前勉強をし 

 ながら、朝礼に臨む形ができてきました。

 朝礼当番が回ってきた社員は、自ら勉強したり他の社員に相談したり  

 と、“学ぶ” という姿勢に心打たれます。また、このブログを活用し、

 社員教育を試みている取締役は、学びをさらに深く探るということを

 社員に促し努力してくれております。

 又、『ありがとうカード』を積極的に発行し周囲の人への感謝の思いを

 手紙で伝えるすばらしい習慣も根付き嬉しく思っております。

 

 今年は更に深い感性を養い、人間力を向上させて行きたいと思います。

 

 そして社員全員の今年の目標は、前述の社長の方針の通り、

 下記の三項目となりました。

   

  1.国語力、会話力、表現力,感性力の向上の為に学び続け、人間力を  

    向上させる。
 

  2.『ありがとう』の気持ちの感謝力と周囲の人に援助する気持ちを向 

    上させる。
  

  3.プロフェッショナル意識を強化し、仕事力の向上をさせる。

 

  

  常に『ありがとう』の言葉がとびかう職場作り、お客様への感謝の心を  

  表現し、社会から常に必要とされる企業となれるように掲げた目標を必 

  ず達成する為に日々努力を続けます。
 

                                                            

                            藤島 義仁

彊めて息まず(つとめてやすまず)

 

 24日の日めくりカレンダー

  小さな人生論の言葉より

  与えられた環境の中で
  ひたすら生きるものは美しい


この言葉の中には、どういう背景があるかと……

著者の藤尾秀昭氏は10年以上前にオーストラリアのエアーズロックに登った時に感じられたそうです。

 

 

このエアーズロックは高さ348メートル周囲9.4キロの巨大な一枚岩で、できており、朝に夕に色合いを変える神秘的な景観は広く知られているところです。

 

その折受けた鮮烈な印象が、いまも胸の奥に焼き付いている。
 岩につけられた道を辿ってる途中だった。ふと見ると、傍らに小さな花が一輪、咲いていたのである。美しかった。なんという花なのかは知らない。種が鳥に運ばれたものか、風に乗ってきたものか。僅か2.3ミリの岩の割れ目から細い茎を懸命に伸ばし、小さな花弁を精一杯広げていた。

 

 あたりは、乾燥地帯で空気は乾ききっている。かんかん照りの日差しが容赦なく降り注ぐ。そして岩の地肌。植物の生育にこれ以上の悪環境はあるまい。たとえ小さくとも細かくとも、そこに花が咲いていること自体が奇跡的である。
 

=もっといい環境で、肥沃な土壌にねを下ろし、湿り気をたっぷり吸収して育ちたかった=
 

この花はそんな風に思った事があっただろうか。だが、花は答えてくれない。環境が良かろうが、悪かろうが、与えられた条件を最大限に生かし、ただただ懸命に茎を伸ばし、精一杯に花弁を咲かせて、自分に与えられた命をひたすら、謳歌していた。

 

与えられた環境の中でひたすら生きるものは美しい。私は、命の本質に触れたような気がして、こみ上げる感動にしばし我を忘れた。

 

 

 

『易経』にいう。
「天行は健なり
 君子は自ら彊めて息まず」

 

天の運行は一瞬も休まず、止まることがない。日月の運動も春夏秋冬のめぐりも、すべてそうである。気分が乗るとか乗らないとか、暑いとか寒いとか、都合があるとかないとかで滞ったりはしない。粛々とただひたすら運行する。

 

この天地の大徳の現れである人間もまた、そうでなければならない。環境がどうだろうと条件がなんだろうと、天の運行のように、自ら彊めて息まず与えられた命をひたすら生きる。それが命の本質であり、命を躍動させて生きることなのである。

 

これは、天が人間に託した根源的メッセージであると思う。

 

エアーズロツクのかすかな岩の隙間にしがみつくように咲いてい名もない小さな花。あの花は天の心そのままを具現していたから、あんなにも美しかったのだ。

 

  彊めて息まず(つとめてやすまず)

古来から多くの人がこの言葉に発憤し、自己研鑽の道に勤しみ、命を躍動させた。私たちも天真を発揮させるべく、人生を突き進んでいきたいものである。


本当に、今の恵まれた命・環境に心から、心から感謝してこそ、そこに生きる力が湧きあがるんだと思いました。

野口英世博士の母

23日の朝礼は、「母の愛」がテーマです。

「母」に愛された記憶こそ、一人ひとりの

生きる力の根源である。

その母の力こそ、ひいては日本という国を支えた根本である。

 

 

 

 

1 野口英世博士の生涯

 野口清作(英世の幼名)は、1876年に福島県翁島村(現在の猪苗代町)で生まれ、1歳半の時、母親のシカの不注意で炉に転げ落ち、左手が焼け爛れてしまって、医者にも見てもらえないまま、鍬も持てない手になってしまいました。

 

 清作の父親は大酒飲みで家も貧乏でしたが、シカは百姓になれない清作を学問で身を立たせるために一生懸命働きました。

 

 この時、シカは近所の人々が収穫したものや工芸品など重い荷物を預かって背負い、会津若松市内まで届けると、その帰りには人々に頼まれた買い物をし、それをまた猪苗代町まで歩いて運んで来て収入を得ていました。

 

 その距離、片道30キロメートル! しかも重い荷を背負って・・・。

 

(←シカは、清作が成長して医学研究のために米国へ旅立ってからも、毎年一度は、息子の健康を気遣って、さらに遠い「中田観音様」まで夜籠りに行っていました。)

 こうした母シカの献身的な愛情と、猪苗代高等小学校の先生だった小林栄(さかえ)先生の私財を投げ打ってまでの援助を受けて、清作は何とか猪苗代高等小学校へ入学することができました。

 でも、清作は学校で、動かない左手を理由にイジメに遭います。

 
 

 やがて清作は、現在の会津若松市内にある会陽医院で左手の手術を受けることになりました。そこで彼は医学の素晴らしさを知り、高等小学校卒業後に、会陽医院の渡部先生に弟子入りするのです。

 清作は熱心に勉学に励み、「ナポレオンは1日に3時間しか眠らなかった」 という言葉を口ぐせとし、事実、その言葉通りに実行したそうです。

 19歳の時に医師免許を取得するために上京した時には、「志しを得ざれば、再び此地を踏まず」という有名な言葉を残しました。

 そして、東京に出た清作は、会津若松の会陽医院から紹介を受けた高山歯学医院の血脇守之助先生の元で医学を学び、わずか20歳の若さで医師免許を取得したのです。


 その後、清作は、当時医学会で世界的に有名であった北里柴三朗が所長を務める伝染病研究所の助手となり、そこに訪れたシモン・フレキスナー博士と知合ったり、横浜の海港検疫所に派遣中、ペスト菌を発見するなどの功績を上げます。

 そして1904年、フレキスナー博士がニューヨークのロックフェラー研究所長になると、野口英世と改名した清作は「一等助手」として迎えられました。

 この研究所で英世は、蛇毒や梅毒、黄熱病の研究に没頭しますが、その熱中ぶりは猛烈で、同僚から「日本人はいつ寝るのだろう?」と言われていたそうです。

 そうした努力が実り、梅毒のスピロヘータの研究で名を為して、ヨーロッパ各地から講演に招かれるようになります。また、この時期には、研究所で知り合ったメアリー夫人と結婚もしました。

 ちょうど、その頃でした。

 渡米後12年。世界の野口として認められ始めた息子に、会津の母シカから一通の手紙が届いたのです。

 

 
2 母(シカ)の手紙
 以下に、シカの手紙を掲げます。

(←シカは学問も無く、字が書けませんでした。しかし、息子に一目会いたさに、囲炉裏の灰に指で字を書く練習をしながら、この手紙が書かれたのです。「財団法人野口記念会」が付した最低限の注釈のみ付けます。)

 
 おまイの。しせ(出世)には。みなたまけ(驚き)ました。
 わたくしもよろこんでをりまする。
 
 なかた(中田)のかんのんさまに。さまにねん(毎年)。 
 よこもり(夜籠り)を。いたしました。

 べん京なぼでも(勉強いくらしても)。きりかない。
 いぼし(烏帽子:近所の地名)。ほわ(には)こまりをりますか。
 おまいか。きたならば。もしわけ(申し訳)かてきましよ。

 はるになるト。みなほかいド(北海道)に。いて(行って)しまいま  

 す。
 

 わたしも。こころぼそくありまする。
 ドカ(どうか)はやく。きてくだされ。

 かねを。もろた。こトたれにもきかせません。
 それをきかせるトみなのれて(飲まれて)。しまいます。

 はやくきてくたされ。

 はやくきてくたされ

 はやくきてくたされ。

 はやくきてくたされ。

 いしよの(一生の)たのみて。ありまする

 にし(西)さむいてわ。おかみ(拝み)。
 ひかし(東)さむいてわおかみ。しております。

 きた(北)さむいてわおかみおります。
 みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。

 ついたち(一日)にわしをたち(塩絶ち)をしております。
 ゐ少さま(栄晶様:修験道の僧侶の名前)に。ついたちにわ
 おかんてもろておりまする。

 なにおわすれても。これわすれません。

 さしん(写真)おみるト。いただいておりまする。(神様に捧げるよ 

 うに頂く) 
 
 はやくきてくたされ。いつくるトおせて(教えて)くたされ。
 これのへんちち(返事を)まちてをりまする。
 
 ねてもねむられません
 

 宛名は博士が予め送っていた英文のゴム印が押されていましたが、今は消え失せて読むことはできません。

 幼い清作に一生消えないやけどを負わせたことで、生涯自分を責めながら息子の無事だけを思って生きた母シカ・・・。

 長年会えない息子に向けて書かれた、たどたどしいその文字から、息子の身を案じる気持ちが痛いほど伝わります。

 


『徳をつくる』

 


こういう話を聞いて慄然としたことがある。アメリカの家系調査報告に残る記録である。

 

 

 ジュークは1720年ニューヨーク州に生まれた。怠惰な無頼漢であった。1877年の調査では、彼の家系は六代を経る(先祖)中で約1200人の怠け者、背徳漢、魚色、貧窮、病弱、知的障害、精神病者、犯罪者が生まれた。この間、300人が嬰児期に死亡、四百四十人が病的な行為で体的に破滅、前科者は百三十人で六十人が窃盗、七人が殺人。手に職をつけたのは、わずか二十人だった。
 ジュークと同年代に生まれたJ・エドワードは代表的清教徒で神学者。

1900年に彼の家系は1394人を数えた。そのうち三人が大学総長、六十五人が大学教授および学校長、百人以上が牧師や神学者、七十五人が陸海軍将校、法律家は百人以上、公職についた八十人の中には副大統領が一人、上院議員が三人、他に知事、下院議員、市長、公使などがいる。十五の鉄道、多数の銀行、保険会社、産業会社などこの家系の人々によって運営されていた。

一人の人間の徳の有無がいかに大きな影響を及ぼすか。私達は肝に命じなければならない。


安岡正篤師はその著書『人物を修める』で、人間を人間たらしめる要素には本質的要素と付属的要素がある。と説いている。本質的要素とは、徳性であり、徳性とは明るさ、清きさ、人を愛する、尽くす、恩に報いる、誠実、正直、勤勉、などの貴い心の動きである。
それに対して、知識、知能、技能などは徳性の発露を助ける付属的要素である。しかし、徳の本質的要素が欠如したり、希薄に傾けば、付属的要素は偽や邪に陥る、と教えている。

 

 

天地の大徳を生という、と『易経』はいう。

人は、天から徳を授かってこの世に生まれる。人は誰でも有徳な子なのである。だが、耕されない沃野が荒野と化するように、陶冶(とうや)がなければ徳はひからび、涵養(かんよう)されない。常につくり続けなければ、徳は育たないのだ。では、いかにして徳をつくるか。

 

 

 

田舞徳太郎氏がその近著 『人材育成のすすめ』で三項目挙げている。

①熱意(自分を磨こう、人の役に立とう、立派な会社をつくろう、といっ 

 た熱い意志)

②知識(いくら熱意があっても知識を磨かない者は仕事を全うすることも人

 間的に成長することもできない。)

③場を生かす(与えられた場でベストを尽くす)  がそれである。この三項

  目の実践によって徳はつくられる。というのだ。

  至言であろう。

 これにあえて付言すれば、「倹以て徳を養う」の一語だろうか。
「倹」は単にムダ使いをしないということのみではない。

  慎むということだ。

「倹」は「謙」である。傲慢こそは徳を害う最大なるものであることを私達 は忘れてはならない。

 

訳: 君子の行動は落ち着きがあり、些細な欲望に振り回されることなく、徳を養うべきである。物欲にとらわれないようにしなければ、理想や志を明らかにすることはできない。心、人格が落ち着いてこないと、遠大なる見識はでてこないものである。学ぶときは落ち着いて学び、才能がある人は、更に学ぶべきである。学ばなければ才能は広がらないし、落ち着いていなければ、学ぶことはできない。少しばかりの学で自惚れていると、知識の価値を高めることはできない。何事にも短気であると、己の性格や人格を制御することができない。年は時と共に積み重なり、志や思いは歳とともに去り、ついには自分自身も枯れ落ちてしまう。貧しい生活に悲嘆するようなことになっても、それは自業自得である。だからそうならないためにも、若いうちから学ぶべきである。

 

昨日の園児のお別れの言葉にもあったように「天から受けたものを天にむくゆる人になります。そして、人の役に立つ人になります」とありましたが、本当に私達は平等に徳を頂いて生まれてきた、この命をどれだけ役立たせられるか自分を磨き、良い行いを重ねていくことが「徳」をつむ。ということなのだと思います。今の私達の生き方が、自分の子供、その子供へ影響するかと思うと…今、私達がしっかりしなければいれません

幸せになるために…

1月21日のひめくりカレンダー

今日の朝礼の日めくりです。

「仰ぐべき師を
 持たぬ人生は
 大きな不幸である」

 『荀子』(じゅんし)はいう。

  人には三不祥あり。
  幼にして長に事(つか)ふるを肯(がえ)んぜず。
  賤(せん)にして貴に事ふるを肯んぜず。
  不肖(ふしょう)にして賢に事ふるを肯んぜず。

  人に三つよくないことがある。
  幼いのに年長の人につかえようとせず、
  卑賤なのに貴い人につかえようとせず、
  愚かなのに賢者につかえようとしない

  仰ぐべき師をもたぬ人生は大きな不幸であることを、先哲の言葉は教え  

  ている。

 

  とても、むずかしい言葉での日めくりカレンダーだったので、
  さらにどういうことかを掘り下げようと思いました。
  すると、この「仰ぐべき師を 持たぬ人生は 大きな不幸である」
  というメッセージには深い深いものがありました。

  この「小さな人生論」の中の文章を読んで、私は、衝撃を受けました。
  感動で涙が溢れてきました。 胸がいっぱいになりました。
  こんな感動は、久しくなかった感動でした。
  そして、自分の愚かさに情けなさに涙がでました。

 


 わが心の先師先賢

 

吉田良次さんは兵庫伊丹の跡継ぎに生まれた。安岡正篤師に出会ったのは、昭和24年、18歳の時である。
「自分の人生は一介の農民としてこのまま終わっていいのか」--
その煩悶(はんもん)が師の門を叩かせたのである。   

                      煩悶 (悩み苦しむこと)

以来、吉田さんは農業に勤(いそ)しむ かたわら安岡師に親炙(しんしゃ)し、古今の聖賢の教えを学ぶ道に入った。  

               親炙 (親しく接して感化をうけること)


吉田さんの非凡な点は、その学びをわが身のみにとどめなかったところにある。自分が培ったものを少しでも後世にと、自宅の納屋を改装し「丹養塾幼児園」という保育園を開設、古典の徹底した素読教育を実践したのである。
二歳から六歳まで、園児は常時20人ほど。吉田さんは、自分が感動をもって、学んだ古典の言葉をそのまま教えた。

子供たちの1日は、朝30分の"勤行"から始まる。
「禊祓詞」(みそぎはらいのことば) 「修証議第四章・発願利生」(しゅうしょうぎ だいよんしょう・はつがんりしょう)「般若心経」、それに本居宣長などの「和歌」、三輪執斎の「憤」なを唱和するのである。
 
意味を教えたりはしない。解説を加えることもしない。吉田さんが先頭に立ってとにかく朗誦(ろうしょう)する。子供たちが後について和する。

この繰り返しが驚くべき力を発揮した。一年もしないうちに、どの子も古今の名言をすらすらと朗読するようになったのだ。それだけではない。新しく入ってきた子は年上の子に倣って朗読するようになる。そして、いつか漢字交じりの原文を読み、書き、意味を理解するようになっていくのだ。


平成15年11月20日、吉田さんは亡くなられた。

葬儀では園児を代表して六歳の吉田歩未ちゃんが、「お別れの言葉」を読んだ。
その原文がある。筆跡は六歳児らしくたどたどしい。だが、漢字仮名まじりで書かれたその文章は、誰に教えられたのでもない。紛れもなく六歳の子どもが自分で考え、自分の手で書いたものなのだ。

そのまま引用する。


     お別れの言葉

園長先生、歩未の声が聞こえますか。
二歳十か月の時、丹養塾幼児園に入園してから、漢字、算盤(そろばん)、諺(ことわざ)、俳句、花園文庫、伝記、少年日本史朗誦集など、園長先生には沢山の事を教えて頂きました。毎日、一所懸命勉強して南宋の文天祥の正氣歌を暗誦できるやうになった時も、園長先生はとても喜んで褒めて下さいました。 それから、園長先生は、色々な所にも連れていって下さいました。北海道巡歴研修でクラーク博士の像の前で「青年と大志」を朗誦した事、青森駅のデパートの)軒先で野宿した事、北陸巡歴研修で、永平寺で座禪をした事、橋本佐内の銅像の前で啓發録を読んだこと、沢山の楽しい思ひ出があります。他にも親子教室甲山の遠足、運動会、お餅搗き、立志集、卒園式、小音楽会、桃太郎の劇など園長先生に教えて頂いた素晴らしい思ひ出が沢山できました。
これから園長先生は天国へ行って、私達の事を見守っていて下さい。
私達は、園長先生に教へて意味を頂いた事をいつまでも忘れず深くさぐって強く引き出す人になります。天から受けたものを天にむくゆる人になります。そして、この世に役立つ人になります。園長先生、ありがとうございました。
      平成十五年十一月二十三日    園児代表  吉田歩未

吉田良治さんにとって、安岡正篤師はまたとない「わが心の先師先賢」であった。同時に園児たちにとって、吉田さんは、かけがえのない先師先賢であったのである。

この吉田歩未ちゃんの六歳児とはとても信じられないような格調高い一文が、余すところなくそのことを示している。

良き師を得、良き先達にめぐり会い、学び得た者の豊穣をここに見る思いがする。

 

 

先師先賢に学びたいものです。
ちなみに、あの忌まわしい「池田小学校事件」覚えてますか。
あの時、大勢の先生が、大人が現場にいたのですが、
みんなパニックで何も出来なかったそうです。
3人の児童が相談して、警察に電話を入れました。

それが、この丹養塾幼児園の卒園児だったのです。

 


我々人間は、最初は物まねから学び、次第に自らが「考え」成長していくのだと思いました。

そして、この様な智慧を親として与えられるような存在にならなければいけないと!そのためには、沢山の奥深いそして、高次元な学びをしていきたいと思いました。
この丹養塾幼児園の園児たちはもちろんのこと、その親御さんも自然に学んでいかれているはずだし…
世の中には本当に素晴らしい方々がいらっしゃるんですよね。

 

自分の愚かさ未熟さを痛感し、どんどん素晴らしい方たちと縁できる自分になりたいです。

『考える=神返る 』

 神様 対 自分

 の対話を通して適切な答えを導き出す。

 本来「考える」というのは、楽しくてたまらないことなんだと思います

朝原宜治氏の講演会

先日、娘の通う中学校に2008年北京オリンピックの男子4×100メートルリレーで銅メダルを獲得された朝原宜治氏が来て下さって講演会をして下さいました。
「あきらめなければ夢は叶う」と題して、ご自身の体験にねざした熱い思いを語って下さいました。また、生徒たちの素朴な質問にも真摯に答えて下さり、さらに実技指導までして頂きました。私の娘は幸運にも実技指導のアドバイスを直接頂くことも出来ました。

今回の講演会は広畑中学校の主催で、姫路西ロータリークラブの方々のご人力で開演できたことだそうです。
本当に有難いと思いました。普通はお会いしたくてもチャンスすらなく手の届かない方と保護者を含め子供たちに御縁を頂いて感謝でいっぱいでした。
中学生に対するメッセージで終わることなく保護者として社会人として多くの学びを得ることがありました。

コツコツと努力を続けていたら、その結果は必ず自分自身に必ず戻ってくる…という事を実感されたお話。

どんな選手になりたいかという明確さを持つ事によって、先は違うし、自主性を見出すことができた。というお話。

これは、練習すればするほど強くなる。でも、それもある程度のところまで。そこから後が問題。その後というのは、自分自身が燃えていなければ、それ以上にはならないしなれない。つまり、情熱をもたなければ、動かない。

どうなりたいかをしっかり持てば、自主性が生まれる。その為にいろいろな情報を得て素直に取り入れ自分自身で判断していく力を養う。そういう力をつけることによって、自分自身の感覚を大切にできていける。

「考える前に感じる」

積極的に取り組む大切さ。「勇敢に積極的に進み生きる」ということなど、大人になり、消極的になりつつある、諦めた感のある生き方を見直さなければと思いました。

自分自身がどうなりたいか、どう生きたいか、「行動ありき」頭であれこれ悩む前に、とにかくやってみる。

明確なビジョンを持たなければ、目標は達成しない。

自分で自分のプロデュースをしていく。

リスクが生じてもチャレンジする心をもつ。「殻をやぶる勇気」
それが、「生きる力になる」

自分に合うような練習を見つけるには、いろいろな指導者の方のやり方をとにかくやってみて、いろいろ試してみて、その中から適しているものを見つける。つまり、自分で考えて工夫していくことが大切。

そして、3位と4位では、メダルや社会的には差があるが、自分が一生懸命頑張って得た順位にはすごく価値がある。メダルをとりたい、優勝したいということに拘りを持つのも大切だけれど、頑張った自分の価値を無いものにすることではない。

陸上だけではなく私達の社会生活や仕事に於ける成果なども同じことだと思います。

また、今は、アスリートの指導というのは、技術はもちろんですが、メンタルの部分にはとても力をいれているのはご存知の通り、色々な分野の例えば将棋の世界の羽生氏であったり、脳科学の研究者の博士方だったりするそうです。

「あきらめない」という「心の強さ」を生みだすこと。そしたら、「必ず夢は叶う」
沢山の励ましと教えを頂きました。

運命の風

ある舟は 東に進み、また他の舟は同じ風で西へ進む。

行くべき道を決めるのは疾風(はやて)(急に激しく吹く風)ではなく帆のかけ方である。

海の風は運命の風のよう.

 

生涯という海路を辿るときゴールを決めるのは、凪(風がやんで海面が静かになること)か嵐ではなく魂の構えだ。

      (「運命の風」 アメリカの女性詩人 ウィルコックスより)

 

この詩は舟の航路を人生の行路と重ねている。同じ風を受けても舟はいろんな方向に向かう。

ある舟は 東に進み、また他の舟は同じ風で西へ進む。

行くべき道を決めるのは疾風ではなく帆のかけ方である。人生も「魂の構え」=「志」(将来どんな事をしたいか、何を成し遂げたいか。)によって進む道が変わる。

「風」はそれぞれの人のおかれた環境や状況である。人生の中では、凪の時や嵐の時がくるでしょう。

「志」があれば、「嵐」の日が続いても頑張ることができます。「志」に向けて努力することです。

 他にもよく人生は航海に例えられて「順風満帆」とか「逆風が……」という言い方がされたりしますが、向かい風でも目的地に行けないことはない。向かい風で前に進めないと思うなら心に張っている帆の向きを変えることも必要である。

 

この文章は、私の娘(中学3年生)の学級通信で担任の先生からのメッセージです。

この義務教育を終え、ひとりひとりが、自分の進路を切り開いていく時というところで、渡されたんだと思います。

私たち大人も同じだと思いました。社会という海に出て、いつのまにか、志が薄れて、風に負けて自分に負けて…と、なんとなく生きているような気がします。

このお便りを読んで、自分のことと受け止め、思い直し逆風でも負けず。目的、志をしっかりと持ち、前へ進みたいです。帆の向きも確認しながら……。

活学

 

 

 

 


 

木野親之先生の365日の格言の中から

1月10日の言葉

「ありがとうという言葉を最初に」


  励ましの言葉は悩み苦しむ人の心に勇気を与え、共感の言葉は、この世  

  に生まれてきた喜びを共有し、共鳴する

  感謝の言葉は、他人の幸せを心から祝福し、自分も満足する奇跡の言葉 

  です。
  
  ありがとう経営は、最後のありがとうを、最初に持ってくる経営です。


1月11日の言葉

 「生命で答えをだせ」

  頭で考えて行動するな

  現実を注視せよ。生命で答えを出せ

  と、よく叱られました。生命で答えを出せというのが、幸之助らしい叱

  り方です。

  現場に"戦略あり" です。

  なんで、なんで、なんでと問い続け、そして、答えを出していました。

  幸之助はこうしていつも自分の心に問い掛けていたのです。

 


   そして、わが社の1月11日の日めくりカレンダーは、

   「真の活学は、人の相を変え、運命も変える」


   「活学」とは、学んだことを知識のみに留めず、

    知恵として発展させ、実践することである。
  

    今日の変転極まりない社会情勢の中、高い志を持って

    生き抜くため、我々は今こそ東洋の叡智にその指針を

    求める必要がある。

  

 

 

 最近、続きますが、やはり知識を蓄え行動し、そこから知恵を生み出して

 発展させて、自らの独創力を発揮していかなければいけません。

 松下幸之助氏のような素晴らしい方が、悩んで悩んで悩み抜いて、哲学を 

 拓き世界の大企業に発展させていかれているわけですが、私達のような凡 

 人は、もっと、もっと、もっと、感じて危機感をもって、学び行動して発 

 展させる意識を持たなければ!!!
  

 ありがとう経営を実践していく中で、私達仲間同士で、本当の意味での切 

 磋琢磨をし、共に幸せを得られるように援助し喜びを共感したいですね。
     
 

 活学のすすめ

 『安岡正篤 一日一言』より、

 

 

 

 学問というものは現実から遊離したものは駄目であって、どうしても自分

 の身につけて、足が地を離れぬように、その学問、その思想をもって自分 

 の性格を知り、それを自分の環境に及ぼしてゆくという実践性がなければ

 活学ではない。

 いわゆる実学、活学をやらなければならない。

 いくら本を読んでも、学んだことを自分の生活や人生に役立てなければ、  

 本当に学んだことにはならないのではないでしょうか。

 自分の生活の中で使える実践的な「実学」、自分の人生に活かせる「活 

 学」を心がけたほうがいいのでしょう。
  

 そういう意味でも、自分の現実から離れた学問や修行は必要ないと考えます
 

 幸せになる方法を身につけるのも自分の生活の中で行うのがいい、と思っ

 ています。

 また、一人ひとりの現実は違いますから、学んだことをヒントに自分の生

 活で実践できる具体的な方法を考え、自分なりに工夫してしくことが大事 

 なのだと思います。

 私たちは、運良く、こういう勉強をしている事をどうかお忘れなく……
 

 

 それが自分にとって実りのある「実学」、自分を活かせる「活学」にもな 

 るのではないでしょうか。

 

「国民読書年」~読書を生活の一部に~

<国民読書年とは>

2010年を国民読書年とする国会決議は、2008年に衆参両院で採決された。2000年の子ども読書年から10年。国際子ども図書館開館、子どもの読書活動推進法制定、自治体が0歳児に本を贈るブックスタート事業など、子どもの読書支援が目立っていたが、今度は大人にまで対象を広げる。推進役は財団法人「文字。活字文化推進機構」。文字・活字文化振興法(2005年施行)などの理念を具体化するため2007年に設立された。「読むこと」を通じて豊かな言語力をはぐくむことを目標に今年、ワークショップやシンポジウムなどを各地で開催する。

<本が育てる学びの力>

本を読むことが子どもの発達におよぼす効果について、東京大学の秋田喜代美さん(発達心理学)は、「本に出会うことが集中力や知的好奇心を育てる。世界を広げ、親子や仲間との絆もつむいでくれる。」と説明する。何よりも、「本を読む沈黙の時間」を持つ事が大切だという。「一人で読めるようになると、孤独で静かな時空間の中で、知なる言葉をつくりだす。過去をみつめ、将来を考える。自分との深い対話経験が生まれます。」

                           (朝日新聞より)

 

実際、近年、年齢や性別、職業等を越えて活字離れ、読書離れが進み、読解力や言語力の衰退が精神文明の変質と社会の劣化を誘引する大きな要因の一つとなりつつあることは否定できないと思います。
 私たちの身近なところだけでなく、国全体が、こうした危機意識から、このような「国民読書年」を定められたんだと思います。

私たちの会社でも、読書をするということは、目標のひとつに掲げていますが、真剣に実行しましょう。

独創力を発揮するための3条件

 

 

 

「日本宇宙開発の父」と称された糸川英夫博士はよく「独創力」の大切さについて話されていましたが、一般向けに行われた講演会でこんなことがあったそうです。

 

先生は、幼い男の子を抱いて前の席で座っているお母さんに
「その子を独創力のある子に育てたいと思いますか?」
と聞かれました。

「もちろん」と答えたお母さんに、
「そのためにあなたはどう育てるつもりですか?」と聞くと、
そのお母さんは

「独創力を発揮するには自由でなければいけないから、
 この子がやりたいと思ったことは自由にやらせます」
 
と答えました。

先生は天井を見てしばらく考えていましたが

「あなたは数年すると、絶望するでしょうな」

と言われたんです(笑)。

「何でも好きにやって独創力がつくのなら
 チンパンジーには皆、独創力がある」と。


先生が続けて言われるには

「人間には意志というものがあって、
 自分はこれをやりたい、という思いに
 固執しなければいけない」
 
と。一旦やりたいと思ったことは、
絶対にやり遂げるという気持ちがなければ、
やっぱり何もできません。

一度決心したことは、石にしがみついてでも
やり遂げる強い意志が必要だ、と第一に言われました。


        * *


第二には、過去にどんな人がいて、
何をやったかを徹底的に学習しないとダメだ、と。

アインシュタインは、ニュートンのことを徹底的に学習して、
ニュートンが考えることは
すべて分かるという状態にまでなった。
そうやって初めて、ニュートンの
分からないことが分かるようになったんです。

だから過去の人がやったことを
決して馬鹿にしてはいけない。
これまで先人が残した考えの上に乗っかって、
初めて新しいことが生まれる。
だから、徹底的に勉強しなきゃいけないと言われました。


        * *


第三は、少し意外だったんですが、
自分が何か独創力のある凄い仕事をしたと思っていても、
世の中が認めなければ
そのまま埋もれてしまうことになる。

世に認められるためには、
他の人とのネットワークを
しっかり築いてよい関係をつくっておくことが大事ですと。


        * *


先生はその後、


「私は独創力と縁のないことを言ってるように
 聞こえるかもしれないけれど、
 世の中の独創力はそうやってできてるんですよ」


と話された。
先生はまさしくそれを貫かれたと思うんですね。


同時代の人がやっていることを
真似るようなことは決してしないけれども、
過去のことは非常によく勉強されています。

糸川先生は、誰も考えなかったことを
考えるのが大好きなんですよね。
でもその基盤には、自分が正当に継がなきゃいけないものを、
物凄くしっかり勉強しているということがあるわけです。

その上に立って、初めて独創力が
生まれてくるんだなということは、
先生を見ていてよく感じました。     
的川泰宣氏&小川三夫氏の対談から

 

今日の朝礼での日めくりカレンダーもそうでしたが,

 

「一道を究めた人たちは、一様に八十になっても、九十になっても感動する心を失っていない。その姿勢はそのまま人に感動を与える力になる」

と、ありました。何かに打ち込み、究める為の学ぶ姿勢や生き方は、人の心を動かし、人を動かすこととなるのだろうと…、そういう真面目さが、独創力をつくり世の中を動かすのだろうなと思いました。

今野華都子先生

 

  本日は、世界一のエステティシャンの称号を得て、
 現在、ホテルの再建に取り組んでおられる
 タラサ志摩スパ&リゾート社長・今野華都子さんのお話より──。


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       「自分を育てるための3つのアプローチ」

         タラサ志摩スパ&リゾート社長・今野華都子さん

                     『致知』2010年1月号
          http://www.chichi.co.jp/monthly/201001_index.html


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私は日々の洗顔を通して、
自分というものを意識して育てていってほしいと思い、
例えば、自分を育てるための3つのアプローチなども教えます。


まずは笑顔、
次に「ハイ」と肯定的な返事ができること、
人の話を頷きながら聞くということ。


最低限この3つができているかどうかで
人生が大きく違ってきます。


       * *


例えば、仕事の場面でいうと、
自分がまだやったことのない仕事を頼まれた時、
あるいは違う部署に配属になった時、


「それは私にはできません」


とか


「自信がありません」


と言ってしまう。


しかし私たちは新入社員のころは、
ほとんどすべてが初めての経験で、
自分がやれるかどうかなど分からないのに、
素直に「ハイ」と言っていました。

そうして仕事を受け入れてきたからこそ、
自分の能力をひらくことができた。


だから仕事を頼まれた時は笑顔で
「ハイ」と受け入れてやってみる。
教えてくれる人の話を頷きながら聞く。
それが自分を育てていく道だと思います。


「できません」「やれません」と言ったら、
すべての可能性の扉が閉まります。


       * *


結局、いつも自然に身についていることしか
表面に出ないんです。

「きれい」を育てるのも同じで、
毎日の仕事の中でそういうことを身につけていきながら、
目の前のことで自分の可能性をひらいていくんです。

きれいになった自分をどう生かすかが大切で、
こういう基本的なことが身について初めて、
自分を生かしていける段階になっていきます。

 

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わが社は、とても、幸運な会社で、こちらの今野先生の指定店として

今野先生の教えの下、支店の運営を(エステティックサロン)を

運営させて頂いているのですが、まず、いつも、この3つの最低限の事を

お話ししてくださいます。

それくらい、できていて当たり前が、なかなかできていない…。

気がついたら、うなづいて聞いているつもりが、まぶた だけが パチパチと   結局うなづいているつもり。

笑顔も、1対1 で 話をする場合は、きっと、皆さん大体の方はできていると思いますが、対大勢の中のひとりの存在に自分がなったとき、 さぁ、どうでしょう…  1対1で話をするように、相手の方に対して笑顔で話を聞いているか…… やはり、笑顔のつもり。かも(?)
 

肯定的な返事  はい 私なんですね!   の心がけを忘れないようにしなければだめですね~

目の前に起こっている出来事をすべて肯定的に捉える習慣を心がけ身につけていけば、素敵な大人になれるし、どんなことにも、対応できる人間になれると思います。

よくよく考えたらわかります。与えられた事に関して、選ぼうなんて、おこがましい。若かりし日の、素朴な純粋な謙虚さを思い出さなければいけませんね~。

 私たちは、こんな貴重なお話を直に聞かせて頂いているのに…、しっかりしないと駄目ですよ!!!

今年は、私達で今野先生を姫路の(兵庫県・関西圏)の方々にご紹介したく御呼びさせて頂く計画ですが、まずは、私たち社員が今野先生に失礼のないように精進しましょう。

 

 

 是非、エステート・リード エステティックサロン  エクセレンス  の ホームページもご覧ください。

 http://www.excellence-e.com/

 

2010年になりました。

あけましておめでとございます。

この一年は、私のために、みんなのために、与えられた成功への平等のチャンスです。

今年こそ、使命を果たす良き年にと、誓願したいです。

そして、松下幸之助氏は、いつも正月になると言われてた言葉があるそうです。

「正月」とは正しい月とは書きます。過ぎ去った年は忘れて、初心に戻ることや。そして、正しい月には、正しいことを考えることが大切。

うまくいかない人は、どこかが間違っているのです。

正しいことを考え実行すれば、必ず正しい結果がでます。

 

 

 

 

今年の目標は、あたりまえですが、「人として」人間力の向上です。正しい行いの下、正しい判断、正しい言葉の使い方を改めて学び
身につけて行きましょう。そこに、仕事力が加わり一人前と言えるのかもしれません。仕事の内容そして、その力については、経験で違いもでると思いますが、人としての行い言葉などは、若いから…とか、経験がないから…、とか言い訳は通用しません。心ある生き方を心がけるために自分磨きをしたいと思います。そこには、必ず言葉という手段において、コミュニケーションをとっていきます。国語力を身につけるという意識を持ってきたいものです。

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