姫路の不動産会社 エステート・リードのスタッフが、日々学び、考えたことを綴ります。

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2008年11月アーカイブ

《社内勉強会》

10月より取り組み始めた社内勉強会 昨日は第3回目を終えました。
10月に社内勉強のやり方という研修に参加させて頂き、ウチの会社でも取り入れようと試みているものです。

目標は、やはり 人間力・会話力・etc...UPのためです。
その為には‥‥というところで、まずは、社内のコミュニケーションからというとこから
自己紹介? プロフィール紹介 みたいなところから、よくよく考えてみると、なんとな~く解っているようで解っていないお互いだったりして‥‥
昨日の3回で、一応 全員の紹介が終わりました。
すごっく、おもしろかったです。

ここの会社に縁した経緯や過去の仕事など、それぞれに素晴らしい歴史があり今があるという前職でのこういう仕事でこんな経験や体験をしたから、今、こんな事が出来るんだ~と感心して、なるほど‥‥と思ったり、普段、大人しい人が、実は目立ちたがり屋だった‥とか、凄い企画力や行動力のある人だなぁと思っていたら、やはり若い頃、新企画のプロジェクトに入っていたりとか、何でも確実に仕事をし堅実で、会社全体を見渡す事の出来る人は、結構、幼い頃から学級委員長をしていて周りに気を配っていて、その頃から発揮していた‥とか、おじいちゃん子で、おじいちゃんが、本当に知らない人にも優しく声を掛けてボランティア活動的な事をされている姿を見て育った人は、今も常にお客様に優しい言葉を掛けて癒しの存在で大人気だったり‥

みんなの話を聞いていると、本当に過去の歴史が今を作っているんだなぁ‥と思いました。
と、なると、今現在が、明日は過去となるわけで、素晴らしい明日を迎える為に今日を素敵に生きないといけないですね~。

次の社内勉強会の課題は決まっていませんが、社内コミュニケーションを活用した上で、さらなるお互いの成長の為に、人間力を養うために勉強会をしましょう!!!

 その為にも読書はいい勉強材料になります。

   人から勧められた本を読む → 視野が広くなる

   視野が広くなる     → いろんな価値観に気付き想定外のことが 

            起きても対応できるから

  そして、
 自信を持つ
    他人と比較しないこと
意気込み・勢い

     頭で考えず即行動する

これらができてる人って尊敬されます。

背筋がピンとして底抜けに明るくまわりも元気にしてくれる人

そんなひとではないでしょうか?

お互いに切磋琢磨しあいましょう!!!

人間とは

人間とは
●人間は、不完全な存在です。どんな人でも「長所半分、短所半分」

 光には影・善には悪、表には裏・・・というように、
 どんなことでもふたつの側面があります。
 宇宙は、バランスでなりたっています。
 どんな人にも嫌な所や短所があります。
 他人だけでなく、自分も長所半分・短所半分。。
 長所が突出すれば、短所は人間味・愛嬌になります。
 短所をなくそうとしなくてもいい、長所を徹底的に伸ばすこと。
 自分にも短所・欠点があると認めることで、謙虚になれる。
 他人にも短所・欠点があるのを認めて、許すことが大切なのです。

● 人生は、どの道を選ぶかでは決まりません。
 問題のない道はありません。
 選んだ道からでてくる問題を乗り越え続けられるかで決まります。

 多くの人は、問題がでてくると、
 「選んだ道が間違っていた」と考えてしまいます。
 これは、理性で考えているから。
 人間は、不完全です。
 問題や悩みのない人生はありません。
 決断で大事なのは、選らばなかったもののすべての可能性をすべて
 捨て去ること、断ち切ることにあります。
 そして、その「決断にかける」こと。
 決断からでてくる問題を乗り越える続ける努力を
 するかどうかできまります。

●「?」(問い)があるから、「!」(答え)が出てくる。
  大切なのは「問い」続けること。

 答えを持つことは大切なことです。
 それよりも大切なことは、「問う力」です。
 答えに縛られると、違う答えを排除しようとする。
 対立が生まれる。説得しようとする。
 常に答えを持ちながら、
 「これでいいのか?」と問い続けることが大切。

● 「仕事」は、人に喜んでもらえるような
 「能力と人間性」を作るためにあるのです。

●問題が、起きてくるのは、向上心のバロメーターです。

 動けば動くほど、問題はやってきます。
 乗り越えられないのは、
「今までのやり方では・・・」「今の能力では・・・」ということ。
 問題に気がつくのは、現実への違和感を感じるから。
「何も問題がない」というのは、問題を感じる感性が鈍っているだけ。
 問題があって当然。必ず乗り越えられる!
 10年前の問題で、今も悩んでいますか?

● 短所は、他人の長所を活かし、輝かせる活人力になるんだよ。 

 「たすけてあげる」ことは価値あること。
 「たすけてもらう」ことも同じくらい価値のあることなのです。
  それは、人を輝かせる力・活人力だから。

    ● 「したいことがわからない」ときは、
 今与えられている仕事を真剣に取り組むときです。
 別のところに求めても見つからないよ 

 今、自分に与えられている職業や人間関係は、偶然でなく、
 大宇宙の必然によって自分に与えられたものです。
 自分に与えられている今やっている仕事を放っておいて、
 どこか他にあるのでは・・・と思っているようでは、どんなに探しても
 結局死に得るものとは出会えません。
 今やっていることの意味や価値・すばらしさを感じることが
 できたとき、命は燃えて、輝きはじめるのです。 

                                 芳村 思風さんの言葉より

人は 格を 獲得していく。それには、まず労働して人間性を養い創り人に喜んでもらえる人間になるよう努力する。

労働することで本物の人間になっていく。

そして、人の値打ちにあった 「お金」が入ってくる。

人間の「質」 会社の「質」が向上することで 「お金」が入ってくる。

「労働」を通して、鍛えていこう。

経済の 「壁」にぶつかるごとに人間性を改め人間性を創っていく。

使命 人間性・人格を作り上げていくことを目指す。

なぜ?? 今、日本は、物質的に潤っているが、人間性が豊かでない。品格が落ちている。

精神的な豊かさ 人間の品格を求めて、日々、試練ですね。

《生きるとは》

芳村思風

人間において生きるとは、
ただ単に生き永らえる事ではない。

人間において生きるとは、何のためにこの命を使うか、
この命をどう生かすかということである。

命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから生きるとは命をかけるということだ。

命の最高のよろこびは、
命をかけても惜しくない程の対象と出会うことにある。

その時こそ、命は最も充実した生のよろこびを味わい、 激しくも美しく燃え上がるのである。

君は何に命をかけるか。
君は何のためなら死ぬことができるか。
この問いに答えることが、生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である。

先日、感性論哲学者の芳村思風先生の講演会に行かせて頂きました。
感想は、日本人の素晴らしさ、と許しあう生き方が大事ですべては愛ということだと。 何事においても最後にたどり着くのは愛です。
もともと、経済とは大昔の物々交換から始まって現在の貨幣社会になっている。
金の奴隷にならないようにしていかないと社会が狂ってくる。
経済のあり方には、根底に愛が元々は、あったはず。
愛しているつもり→相手に伝わっていなかったりそれを感じていなければ、身勝手な愛。

~~つもり の労働も身勝手。お客様にも同じ職場で働いている仲間にも喜んでもらわなければ全部、身勝手な愛。相手が幸せだと感じてくれていなかったら幸せだと感じてもらうまでの努力を諦めない。

経済のあり方 → 人に喜んでもらえる仕事。結果を出さないと価値が無い。

そこで、人間力。人間が人間として本物になるため政治力、経済力、教育力、などを身につけなければいけない。

人間として生まれてきて、狼に育てられた狼少女の話は、皆さん知っていらっしゃるかと思いますが、生まれてすぐに狼に育てられたので、推定7歳くらいの時に見つかった時は、骨格が四足の構造になっており、無理に立たせても、ちょうどチンパンジーが立って歩くようにしか立てない。ものを食べるために皿を持たせても、すぐに下に置いてしまい、ペロペロなめる。
そんな食べ方しかできない。言葉は単語をだいたい50前後覚え、発音はできるのだが、何を意味しているか全く理解できなかった。耳で聞いた音をオウム返しに発音しているだけで、意味と結びつけては理解出来ない。単語と単語を結びつけるニューロンの結びつきが全然出来ないから、考えるという事が出来ない。
しかし、オオカミの感性は立派に持っている。 いろいろな状況に対する判断、逃げなければならないか、このままいても安全か、といった感性はすごく発達している。オオカミとして積み重ねた体験や経験からくる知恵、オオカミの知恵はあるのだが、言語を根底にした抽象的思考能力がまったくない。したがって理性もない。人間に戻そうと随分努力したのですが、とうとう理性を獲得できなかった。似たようなことはするが人間には戻れない。人間に戻そうという無理があったのでしょう。16歳頃に死んでしまいました。

この例から見てからも解るように人間の子供に生まれたから理性がある、などと思うのはとんでもない間違いなのです。人間の子供に生まれても、オオカミにさらわれたらオオカミになってしまう。ということは、人間が人間になるのは、そう簡単なことではないということです。人間の子供に生まれ人間の社会の中で成長し、人間の手によって育てられることがなかったら人間は人間にはならない。

ここから、「人間であるとはどう在ることか」という問いが出てきます。
ここから続きは、次回に‥‥

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