今、私は、清々しい気持ちで生きていく為に、自分はどうしたらいいのか?ということを考えながら日々過ごしていくことを心がけています。
少し前、自分の心がマイナス状態になってしまっている時に、上司が「真実から目を逸らしてたら、一見、楽だけど、後から相当しんどいことになると思うよ。やはり、真実から目を逸らさずに面と向かっていくと、それは絶対に楽に、そして清々しい気持ちで過ごしていけるよ」と私を励まして下さるメールを下さいました。
私は、その「清々しい」という言葉がとても心に残り、その時の自分の心の状態がとても清々しいとは言えず、自分の愚かさを隠そうと、出来ない理由を必死で考えてしまったり、目に前の真実から逃げてしまっていました。
自分の心の中はモヤモヤとして、何かすっきりしない。そんな気持ちで仕事をしても、いい仕事など出来るはずもなく、また失敗を繰り返してしまうという最悪の状態に自分を陥れてしまっていました。
早くこのモヤモヤから抜けだしたい、清々しい気持ちで過ごしていく為には、どうしたらいいのか?ということを考えるようになりました。
そんなとき、以前読んでいた、スリランカの初期仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラさんの
「こころを清らかにする言葉」という本に、このような言葉があったことを思い出し再び本を開きました。
「不完全でいい、でもいい加減ではない、
これが私の精いっぱいだ」
というのが、いちばん素晴らしい生き方です。
私たち人間は、大した存在ではありません。それほど頭がいいわけでも、絶世の美男美女でもありません。いままで完璧だった人など一人もおらず、誰もがほどほどであったのです。完璧に何かを成しとげることは不可能だと知りましょう。「自分はしっかりした人間だ」などと思いあがるのはやめ
にすべきです。どんなことでも、完璧を目指すと、とても苦しくなり、根をつめすぎて自滅します。
周りが評価するのは精いっぱいやっている態度であり、完璧な仕事ではありません。満点を目指すのではなく、できることすべてをやり尽くすことです。
いい加減にやったわけではないのだから、非難されても別に気にする必要はありません。
(中略)
完全主義、完璧主義という無意味な観念を消してください。十割バッターになれない自分を認めるべきです。それは「逃げ」やおよび腰などではまったくなく、「人間は不完全である」という心真理を理解した人だけが到達する高度な諦念というべきものです。
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私は、清々しい気持ちで日々を過ごしていく為にも、この「不完全でも、いい加減ではない、これが私の精いっぱいだ」という気持ちで何事にも取り組んでいくことが大切なんだと思いました。
いい加減か精いっぱいかということは、他人はごまかせても、自分自身はごまかすことはできません。
所詮そんないい加減さは隠しきれるものではなく、どこかで失敗としてでてきたり、自分を苦しめたりするのだと思います。
現に、何かモヤモヤする…という気持ちは、どこかで自分には出来るはずと思いあがってしまい、自分ができる精いっぱいの事をできていないから、本当の自分を見るのが嫌で逃げてしまっているから、感じるのだと思いました。
今の自分に出来ることを精いっぱい頑張ろう!!と取組むようになってからは、モヤモヤしていた心が軽くなってきたように思います。そして、仕事の失敗も素直に認めることができ、次同じ事を繰り返さない為にどうしたらいいか?ということを、必死で考えるようになってきました。
今まで、自分の力を過信しすぎ、精いっぱいやっているつもりです、と過ごしていた自分が恥かしいですが、これからは、自分に正直に、清々しい気持ちで日々を過ごしていく為にも、今、自分が出来る精いっぱいのことを、怠けず、甘えず、逃げることなくやり尽くしていきたいと思います。
そして、毎日清々しい気持ちで、心からの笑顔で過ごしていきたいです♪










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