当社では、社員全員で毎月、1日は必ず神棚に御参りをさせて頂いています。
入社したての頃は、ただ会社の行事に参加してるくらいにしか感じていなかったのですが、日を重ねることに、感謝の意味を知り、なぜ毎月決まった日お礼をさせて頂くのか、その重要さが分かってきました。
由来は様々ですが、1日を月始際(つきなみさい)と言い、15日は月次祭と書き、同じく「つきなみさい」と呼ぶそうです。
その日は神様がお見えになる日なのだそうです。
毎月、月初に先月も無事に過ごせたお礼と、今月もどうぞ宜しくお願いします。と願い込めてお参りをさせて頂いています。
今までの自分は、初詣やえびす祭で御参りをさせて頂いたり、困ったときに神様にお願いしたりということはありましたが、都合の良い時だけ神頼みをして、お礼を忘れていた事を気づかせて頂きました。
また日常においては、どうだろうと考えてみると、他の方にして頂いことに、ちゃんとお礼が出来てるだろうか?自分の都合の良いことだけをしていないかだろうか?と、振り返ってみた時に、まだまだ至らずのところがあるので、神棚に感謝させて頂くように、周りの方への感謝も忘れずにいなければいけないし、それをちゃんと表現していかなければいけないと思いました。
また、お礼の仕方にしても、最初は何も考えず先輩方の動きを見ながらただ、2礼2拍手1礼をさせて頂いておりました。
ですが、最近はその瞬間の大切さ、空間の神聖さを感じることが出来るようになってきました。
2礼は「天」と「地」、2拍手は「太陽」と「月」、1礼は「感謝」を意味するそうです。
また、拍手は右手を1関節程ずらすそうです。
なぜなら、節をずらさないと「ふしあわせ」(節合わせ=不幸せ)になってしまうからだそうです。
すべての事、ひとつひとつの動き・ものにも意味があるという事を改めて教えて頂き、その大切さが分かりました。
そして、先日、手を合わせる(合掌)について書かれている、曹洞宗徳雄山建功寺住職 枡野 俊明さんの本を読ませて頂きました。
右手を自分以外の相手として、例えば仏様であったり神様であったり、あるいは目の前にいる他人とし、左手を自分自身とします。
合掌とはその二つをひとつにするという意味があるそうです。
つまり、自分以外の誰かを敬う気持ちでが合掌であり、礼拝(低頭)なのだそうです。
手を合わせることで感謝の気持ちが生まれ、そこには争いごとは生じません。手を合わせたまま、相手を攻撃することはできないからです。
また、手を合わせながら「ごめんなさい」と言われたら、怒りやイライラもおさまってしまう。 そこに合掌のもつ意味があるそうです。
そして、手を合わせる事でその日の無事・開運をいただき、夜、手を合わせその日の無事を感謝する事で心の平安が得られます。現代の生活の中で、何かに手を合わせ、祈り、感謝をする事は非常に少なくなっています。祈りの中で自らが謙虚になる事は、必ず良い人間関係の循環を創り、やがて自分を豊かな生活に導きます。というお話もありました。 私もその事を思いながら、そっと右手、左手を合わせてみました。
すると、自分の心が穏やかになり、暖かい気持ちが広がっていくのを感じました。
心が静かに、穏やかになると同時に自然と周りへの感謝の気持ちが湧いてくるのを感じました。
日頃、何気なくしている事でも、その意味を知り、大切に思い描きながら行っていくと自然と自分の気持ちも姿勢も変わってくるのだと思いました。
日めくりカレンダーの和田裕美さんの言葉にこんな言葉がありました。
「 辛い時や、壁が立ちはだかった時は、神社に行く。
イライラする時は感謝の気持ちを忘れているんですよね。」
私は辛い時や目の前にあるものを壁と感じている時、自分中心になってしまい、周りが見えなくなることがあります。後から自分を振り返った時に、傲慢な気持ちになっていた自分がいた事に時間が経ってから気づいていました。これからは、イライラしたり、落ち込んだり、自分を見失いそうな時は、その時に掌を合わせ心を静め、自分を振り返る時間を作り、素直さや謙虚さそして周りの方への感謝の気持ちを忘れずにいれる自分になっていきます。










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