私の家では、数年前からドラセナという、よく幸福の木と呼ばれている観葉植物をおいてます。
家の中にも緑があると、空気がきれいになったり、気持ちも癒されます。
ところが冬の間に外で水をあげたとき、一日中そのまま外に出しっぱなしにしてしまい、その時から葉っぱが枯れるようになってしまいました。
それでもずっと ほんの一部だけ、青い葉が出つづけていたところがありました。
枯れてしまったところも、何とか元のように元気になってほしいと思い、先日よく晴れた日に植え替えをしました。
一度鉢から出すと、鉢の中の土は湿って濡れていて、根っこが腐ってしまっているところがたくさんありました。
与えられた狭い鉢の中の環境でしか生きていけないのに、なんとか生きようと細い根で頑張っていたのでした。自分のしてしまった失敗でそうなってしまったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
幸福の木は一本の棒のような木から、たくさんの葉っぱが生い茂っているのですが、調べてみると、“生命力が強く木をきれいなところから切れば、また新しい根が張り、きれいな芽がどんどん出てくる”とありました。そこで、のこぎりで木をきれいなところまで切断し、新しい鉢と土に植え替えました。
そして、しばらく日の光を浴びさせて、“元気になりますように”という思いでまた家に持って入りました。
数日経って幸福の木を見ると、薄い黄緑の、かわいい芽が出ていました。
その強い生命力に、本当にすごいことだな、と感動しました。
普段道を歩いていても、アスファルトを破って芽を出している植物や、きれいに咲いている花を見て、か細くて、はかないものに見えるのに、すごい力だなと思うことがよくあります。
会社の前のブロックでできている歩道も、街路樹の根っこが伸びてきて盛り上がり、ボコボコと畝っています。
そのように葉っぱを生い茂らせるため、きれいな花を咲かせるため、又 一回り大きくなるために、一生懸命根を張って、踏ん張っているんだということを気づかせてくれる、大きな自然の力だと思いました。
先日参加させていただいた、原田隆史氏の講演会でも、印象に残ったところの一つが、大きな土台となる人格の上に、能力が乗っていなければならない。というお話でした。
小さな人格の上に能力が乗っかっていても、それがどんなに素晴らしい結果、成果だったとしても、すぐにグラグラして、崩れてしまいます。
その結果を出す能力の部分を支える人格、(人柄、人間性)がなければ、人間として魅力がないし、誰からも認められないし、困ったとき、誰も助けてくれないのだと思います。
その土台となる人格の部分が人間の根っこであり、能力の部分がキレイに咲く花だったり、生い茂る葉っぱのように表面に見えるものなのだと思いました。
能力の部分は、学力で言えば偏差値であったり、大人であれば収入だったりと、数字で目に見えやすい部分だったりするけれど、人格の部分はいつも目に見えるものではないと、原田先生も言われていました。
その土中(自分の中)でしっかりとした根を張っているか、いないかで、ふとしたときの一言に出たり、いざというときに、役に立てるかそうでないかに分かれていくのだと思いました。
私は、まだ土台がしっかりできていないのに、いい結果を出したいとか、褒められたい、という安直な気持ちだけが先走ってしまうことがあります。それどころか、自分のことしか考えていなくて、怒られたくないという思いから、自己防衛の言葉を発しているときがあります。でも、その前にもっともっと基礎の部分の人格、根っことなる部分を磨いて、少々のことでは腐らない太くしっかり作っていかなければと思います。
そして原田先生は、その人間力というのは、
・人を助けること
・愛すること
・教えること
この三つで養われるとおっしゃられていまいした。
その中で今自分にできることは、周りの方のお役に立てるようにできることを精一杯すること、(人を助けること)何事にも(誰にも)思いを込めて、真剣に取り組むこと(愛すること)だと思います。そのためには、先日D先輩がブログに書かれていた陰徳を積める人になっていきたいと思いました。陰徳を積むには、本当に自分の弱い心と戦うのだと思います。
やらなくても、目を逸らして見ないふりをしても、誰かに怒られたり責められるわけではなくて、自分にモヤモヤ感や後悔、違和感が残ってしまいます。そんな自分を捨てて 幸福の木のようにきれいなところまで切って、同じ失敗をしないように新しい根ときれいな芽を出して、自分の葉っぱや花(能力)を咲かせる土台を築いていきたいと思います。










コメントする