「人間力を養う」という文章に大きく感銘を受けました。
人間力とは人間の総合的な力のことだろう。
知識、技能、教養、人間関係力、実行力、徳性といった
もろもろの要素が総合して練り上げられ、
発酵し、結晶するもの、それが人間力であろうと思われる。
中には金力や財力、地位といったものも人間力の重要な要素、と言う
人もいる。
確かに、現実的にはそれも一つの要素には違いない。
だが、それらをすべて失っても、
なお輝きを失わぬ人格の力こそ人間力と言うべきだろう。
その人間力を養うには何が必要か。
根本になくてはならないのは、 憤の一字である。
物事に出会い、人物に出会い、発憤し、感激し、
自己の理想に向かって向上心を燃やしていく。
そういうものを根本にもっていない人に、人間力はつい
てこない。
次に大事なのは 志である。夢と言ってもいい。
いかなる志、夢を持っているか。その内容が人間力の
大小厚薄重軽を決める。
第三は 与えられた場で全力で尽くすこと。人生の経験をなめ
尽 くすことと言ってもいい。
第四は その一貫持続であり、
第五は すぐれた古今の人物に学ぶことである。
すぐれた人の生き方に学ぼうとしない人に人間的成長は
ない。
そして最後に大事なのは 素直な心だろう。
松下幸之助氏は最晩年まで、「素直の十段になりましょう」と
言い続けたそうである。
素直な心、柔軟な心こそ人間力を高めていく上で欠かせない一念であろう
と思われる。
根本に出てきた「憤」でいえば、「憤せざれば啓せず」と論語述にある
言葉である。
「憤」は いきどおり。ここでは膨張し、盛り上がる心の意。
なにくそ!と発奮し、やり抜き、何かをつかみ取って感激、感動する。
そういう精神の躍動を蔵した者でなければ、導き啓くことはできない。
と孔子は言うのだ。
さらに、孔子の言葉はこう続く。
「悱せざれば発せず」
この対の二句から「啓発」という言葉が生まれた。
「悱」は何か言いたくて口をもぐもぐさせているさま。
問題意識かを持ち、内部に蓄積したものがなければ、こいう状態には
ならない。そういう者でなければ、こういう状態にはなせない。
そういうものでなければ、教えをひらくことはできないということである。
、孔子は次のように結ぶ。
「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、即ち(すなわち)複びせず」
四角なものの一角を教えられたら、あとの三つの角は自分で考えて
わかろうとする者でなければ、教える必要はない、と。
自分でやろうとする自主性、積極性が肝要なのである。
イギリスの18世紀の歴史家ギボンも、
「あらゆる人間は二つの教育を持っている。その一つは、他人から受ける
教育であり、他の一つは、これよりも、もっと大切なもので、自らが
自らに与える教育である。」と言っている。
横に転がったコップにいくら水を注いでも空しい。
ちゃんと立っているコップでなければ、
注がれる水を貯えることはできないのだ。
自分に向って問いかけよう。心がふくらみ盛り上がる躍動ありや、
感激感動ありや、そして、自主性ありや、と。