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命の炎を燃やして生きる。

2月20日 日めくりカレンダー


命の炎を燃やして生きる。

 

 

 

 

「小さな人生論」より
******************


「足なし禅師」と呼ばれた禅僧がいた。

 小沢道雄(どうゆう)師。大正九年生まれ。

 幼年期、曹洞宗の専門道場で修行。

 二十歳で収集を受け満州へ。昭和二十年、二十五歳で敗戦。

 シベリアに抑留され強制労働。

 だが、肩に受けた銃創(じゅうそう)が悪化し、

 役立たずは不要とばかり無蓋の貨車で牡丹江の旧日本陸軍病院に

 後送される。

 氷点下四、五十度の酷寒に夏服のままで、

 支給された食料は黒パン一個、飲み水もままならず、

 三日間を費やした行程で死者が続出した。

 小沢氏は死こそ免れたが、両足が凍傷に冒された。


 膝から切断しなければ助からない。

 その手術の担当軍医は内科医で外科手術はそれが初めて。

 麻酔薬もない。メスを執った軍医がしばらく祈るように目を閉じた

 姿を見て、小沢氏は、この軍医に切られるなら本望だと思い定めた。


 想像を絶する激痛。
 
 歯がギリギリ噛み合い、全身がギシッときしんで硬直した。

 すさまじい痛みは一ヶ月あまり続いた。

 八月に突然の帰国命令。

 歩けない者は担架に担がれ、牡丹江からハルビン、奉天(ほうてん)を

 経て胡廬(ころ)島まで千五百キロを徒歩で行くことになった。

 だが、出発して三日目の朝、目を覚ますと周りには誰もいなかった。

 満州の荒野に置き去りにされたのだ。

 あらん限りの大声で叫んだ。
 
 折よく通りかかった北満から引き揚げ途中の開拓団に救われたのは、

 僥倖(ぎょうこう)というほかなかった。


 崖っぷちをたどるようにして奇跡的に帰国した小沢氏は、

 福岡で再手術を受け、故郷、相模原の病院に送られた。

 母と弟が面会に来た。

 

 「こんな体になって帰ってきました。

 いっそのこと死のうと思いましたが、帰ってきました。」


 言うと、母は膝までの包帯に包まれた脚を撫で、小さく言った。

「よう帰ってきたなぁ」


 母と弟が帰ったあと、小沢氏は毛布をかぶり、声を殺して泣いた。


 懊悩(おうのう)の日は続いた。

 気持ちはどうしても死に傾く。

 その果てにわき上がって来た思いがあった。

 

 比べるから苦しむのだ。

 比べるもとは二十七年前に生まれたことにある。

 二十七年前に生まれたことを止めて、

 今日生まれたことにしよう。

 両脚切断の姿で今日生まれたのだ。

 そうだ、本日たったいま誕生したのだ。

 足がどんなに痛く、足がなく、動けなくとも、
 
 痛いまんま、動けないまんま、生まれてきたのだから、

 何も言うことなし。本日ただいま誕生!


 深い深い覚悟である。

 一、微笑みを絶やさない

 一、人の話を素直に聞こう

 一、親切にしよう

 一、絶対に怒らない


 小沢氏はこの四つを心に決め、五十八年の生涯を貫いた。

 命の炎を燃やして生き抜いた足なし禅師の人生だった。


 「主」という字の「、」はロウソクの炎。

 「王」は台のこと。

 自分のいる環境を照らして生きる人のことを、

 主という。

 

 命の炎を燃やして生きるとは、自分が自分の人生の主人公となって、

 生きることである。


 

 

  このような壮絶な体験というのは、想像もできないくらいです。

  しかし、そこから、命の炎を燃やして生き抜かれたと…、


  私たちは、せっかく与えられた命、そして肉体、心というのを、

  あまりにも粗末にあつかっていないだろうか…とも考えなおして

  みました。

  とても、低い次元での悩みかもしれません。


  以前にある方から、こういう言葉を聞きました。

  
 「全ての不幸感は、他人との比較から生まれる。」

   自分は、劣っている。

   自分は、求められていない。

   自分は、不幸だ。

   こういった全ての不幸感は結局、

   心のどこかで、無意識に自分と他人を比較しているから

   生まれるのだと。

   心のどこかで、一般的なものさしを持ってしまっているからだと。


  「あるがまま」の自分って一番簡単なはずなのにとても難しく

   思えてしまいがちです。


   本当の自分が何を望んでいるのか、「理想」と「現実」の中で

  「夢」をあきらめたり、「妥協」した人生を歩んでしまいがちに

   なります。

 

 

  「願望実現」の観点から見ると「夢」や「目標」は「通過点」に

   することで叶いやすくなります。

  「夢」や「目標」は「今起こっている現実」の「選択」を決める

  「道標」になってくれます。

  ありのままの自分を受け止め、自分のことを頑張れば、

  そうした自分の行動から出会い、向かいあえる人が、

  その人もあるがままの自分自身、そして、他者自身を受け

  止めることができ、共に、認めあい、協力、信頼を築いて

  いける人であり、本当の意味で励ましあえる人だと思いました。

  自分が努力し、学び得た知識、経験を否定する理由がないため、

  自分の努力、知識、経験を大切にし、

  あるがままの現実の自分を大切にします。 


  自分の内から出てくるすべてを受け止め、そのすべての自分に

  必要な知識を学び、理解し、考え、行動し、経験していける人が、

  成長していける人であり、強くなれる人だと思います。


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