2月12日の日めくりカレンダー
「常に悲感を 懐きて心ついに醒悟す」
釈迦の言葉である。
常に深い悲しみを胸の奥に秘め
その悲しみを大切にして歩み続ける時、
人はついに悟りに目覚める、という意味である。
涙を流すことは人生を深める道でもある、ということを、
この言葉は教えてくれている。
去年までの日めくりカレンダーで教えて頂いた話で、
「ないものに嘆くのではなく あるものに目をむける」という
「和た与」店主の小川与志和さんの言葉がありました。
火事により、経営していた店とともに愛する妻と三人の幼子を
一度に失った小川氏は、絶望のどん底で、自分がいかに多くの
ものを与えれているかに気付き、立ち直りのきっかけを得たという。
人はとかく感謝を忘れて不平不満ばかり抱きがちだが、
当たり前の日常の有難さに気づくことで、人生は大きく変わることを
教えられる。
という話を思い出しました。
流したくない涙、深い悲しみを受け止め、人生を深められたから、
感謝の意を発する事が出来られるんだと思いました。
その事を考えるだけでも、胸が締め付けられます。
一度に愛する人たちを失う事を想像するだけでも、
気が狂うくらいな気持ちに陥ります。
自分だったら立ち直れるだろうか…と怖い気持ちになります。
それらの感情を乗り越えるために、感謝の気持ちをもって、
生きて、使命があると信じて、今を生きていらっしゃるんじゃないかと
思います。
いろいろな、苦悩や悲しみは、自分自身が大きく深い人生を生きるために
起こっていることだと思い、必ず乗り越えたら、自分の「力」に変わるの
だと信じて生きていきたいと思います。
釈迦の教えの特徴的な事は、人によりその教えが違う事です。
この困難な悟りをすべての人が理解できるはずは無い。
そうであれば、悟った人のレベルによりその教えは変えねばならない。
宗教と違う点のひとつでもある。
釈迦は一冊の本も残さなかった。いや、残さなかったのではなく、
残せなかったのであろう。
それは、プロの野球のコーチがその指導書を残せない事と同じである。
指導書はその弟子のレベルによって変わってくるであろう。
歩く事が出来ない赤子には、まず歩く事を教えねばならない。
歩く事が出来るようになれば、今度は走る事を教えねばならない。
すでに野球を始めている人でも、少年野球、高校野球、大学野球、
プロ野球とその選手のレベルが違っている。
ここで問題であるのは、多くの当時のインドの人達は、この野球の
コーチの例えで言えば、すべて赤子の状態であり、当時の修行者達は
すでに野球を始めている人達であり、それでもいろいろなレベルがある。
釈迦が指導書を残せなかったのは当然であった。
それは釈迦の教えがあまりにも深すぎた為であった。
しかし、その事が後世、いろいろな経典が生まれ、いろいろな教えが
生まれる原因となる。
どの宗派の考えが正しいのか釈迦は言っていない。
釈迦は後に述べる
“筏の教え”でこれらは総て向こう岸(涅槃)に付く為の筏であると
教えた。これらは道具であり、あくまでも目的は向こう岸(無分別知、
涅槃)である。
どんな事が起ころうとも、自分に必要な事しか起こらない。
自分にとってのトラブル(壁)が発生したとしても、それは、自分の不測の部分を教えてくる現象になだけだと思います。









