熱意・誠意・創意
人が仕事を成就するために欠かせないもの、それが熱意であり、誠意であり、創意である。
熱意のないところには何も生まれない。熱意、情熱こそ創意の源泉である。物事を創始した人はすべて、ただならぬ情熱の権化である。例外はない。
松下幸之助氏がこんな事を言われている。
「二階に上りたいなぁ では、まだまだ駄目である。なんとしても二階に上りたい。そんな熱意がはしごを生み出す。」
「二階に上りたいなぁ」とは誰もが思う。しかし、その程度の思いでは二階には上ることはできない。「なんとしても」という熱い思い、たぎるような思いがあって初めて、二階に上るためにはこうしたらどうだ、ああしたらどうだ とひるも夜も考え詰めることができ「はしご」という手段、方法に思い至るのである。
この熱意と車の両輪をなすもの、それが誠意である。
人間、情熱だけで突っ走っても、それなりにうまくいくものである。しかし、それはあくまでも、一時期である。人間としての誠実さを欠くと、必ずどこかで崩れる。歪んだ結果しか手にできない人生になってしまう。
「誠は扇の要」という。小さな要があることで扇はその形を保つ事ができる。要を外せばバラバラになってしまう。どんな才能、、才覚、、情熱があっても、誠実という要がなかったら、その人生は真の結実に至ることはできない。
また、「至誠神の如し」ともいう。誠心誠意を尽くすとき、人間業とは思えない、さながら神の仕業のようなことが出現するというのである。胸に刻むべき人生の法則である。
そして、創意である。絶えず創意工夫する。昨日よりは、今日、今日よりは明日と常に前進するために、ああしよう、こうしようと考え続ける。そこに仕事の飛躍が生まれる。
創意のもとになるのは教養である。そこに人が勉強し、幅広い人間的教養を積んでいく意義と必要性があるのである。
昨日は、早速社員のEさんや、Dさんがブログを投稿してくれました。
大変嬉しく思いました。今年に入ってからの朝礼での学びや会社の雰囲気から何かしら感じ取ってくれて、想いを綴ってくれました。
「今を生きる」という大切な事に気付き、自分たちに出来る何かをと…取り組んでくれた事に嬉しさと感謝の気もちでいっぱいです。
Eさんのメッセージにもあったように、人と比べない。今の自分を愛し認め、そこから始まる と……。
仏法の中に
桜 梅 桃 李
おうばいとうり・・・について(桜=さくら、梅=うめ、桃=もも、李=すもも)
桜は桜 梅は梅
桃は桃 李は李
どんな花も美しい
それぞれが それぞれに
力一杯 咲いている
もう少し赤ければ
もっと花が大きければ
そんなこと
これっぽっちも思わない
それぞれが それぞれに
ただ ひたすらに
咲いている
人間も同じだ
どんな人も美しい
どんな人も素晴らしい
それぞれが それぞれに
力いっぱい生きている
人をうらやむことはない
自分でなければならない花を
自分らしく咲かせよう
力一杯 咲かせてゆこう
それこそが
桜梅桃李
花のように 人間も その人の持つ素晴らしさや
個性、特徴や力を存分に発揮して強く生きていくという意味です









