自分を変えること by/N.E
自分は変えられるのでしょうか?
他人を変えるのは難しい、でも自分を変えることで、人も変わるのではないか、という意見もあります。
そもそも、自分が変わっていくことは良い事であり、それが進歩だという
意見がほとんどではないかと思われます。
人は自分を変えるためにあらゆることをします。
自分を変えたいという欲求はとても強いものがあるようです。
外見で行けば、髪の毛を染めたり、化粧をしたり、おしゃれをしたり、
整形をしたり、ダイエットをしたり、内面でいけば、自己啓発の本を
読んだり、いろんな人から教えを頂いて自分の心磨きをしたり・・・
自分を変える為のあらゆるテクニックを試みます。
自分をよりよく見せ、よりよく物事ができるようになり、すばらしい自分に
なっていく。
それが自分に対する挑戦であり、人生の目的のようにも思われます。
すべてはそのための努力でもあるようです。
でも自分を変えようとするのは、どのような視点で、どのような理由で、
自分を変えようとするんでしょうか?
自分を変えようとする思いは、通常、今のままでは自分はダメだ、
今のままでは価値がない、不十分である、という思いが根底にあることが
多いのではないでしょうか。
つまりそういう自己否定から、劣等感から自分を変えようとするわけです。
そういう自己否定や、劣等感はそれ自体がエネルギーとなり、それでもって
大きな事業をやり遂げ、成功し、偉人となった人のお話しもあります。
松下幸之助氏は、幼少時代充分な教育を受けれなかった事に劣せず、
逆に、だからこそ学ぶ力を養い続けられ、学校教育では、教えられない
人生哲学のような学びを得られたのだと語っておられました。
それが資本主義の競争社会、弱肉強食の中で成功していくための
方法でもあったわけです。
自己価値に悩まされる人は、今の自分でいいわけがない、自分は役に
立ってるのか、逆境にたった時・・・自分はダメだ
今までそんな事習ったことがない・・・なんでそんな事がおこるのかと
自己判断でジャッジしてしまうのでしょう。
そうした場合、その人は自分の心で勝手に自分を批判し、判断していること
になります。
そして、自分を批判するという事は、自分を受け入れてないから
批判してしまい、気がつけば他人を、環境を批判してしまい、
その状況にすら気づかないという悪循環に陥ってしまいます。
もし、あるがままの自分を、そのままを受け入れて愛することが
できるなら、そこには自分を、他人を批判する考えは浮かんで
こないはずなんですね。
それはちょうど薔薇の花は薔薇の花で美しく、
タンポポはタンポポで美しい、というのと同じことです。
またつぼみの時は、つぼみのままで美しく、早く花を咲かせなければと
急ぐ必要もないわけです。
無理につぼみをこじ開けようとすることでその花を破壊してしまいます。
自分自身の花を咲かせればいいのです。
それにはまず、自分を知ること、自分の良い面悪い面、長所短所、
すべてを自分で認識し、受け入れ、改めるべきを改め、伸ばすべきを
伸ばす。
人それぞれユニークであり、自分独自の才能を持っています。
その人自身の価値を持っています。
自分のあるがままを評価し、受け入れ、愛することから、
自然と内側からの変化が訪れることはあるでしょう。
でもそれは外側から、別の価値観や信念、考えで持って無理やり
人や自分自身を変えようとすると、そこで拒絶が生まれてしまいます。
ただ、自分の事なので、ずっと長年身体に志向に染み付き、
他人からみると間違った言動思考も、自分自身では、いたって
普通で当たり前の事。なので、他の方から、指摘を頂いたときは、
自分はこうだと思っていたけど、こういう考えもあるのか、
人によってはそうみえるのか・・・じゃあ、自分を振り返ってみよう。
そこからスタートして素直に受け止める事が大事なことだと思います。
心の底から、変わりたいと願う気持ちが、心を素直にし、
他人の意見を受け入れ、自分を磨く最善の方法だと思います。
自分としっかり向き合い、あるがままの自分自身を受け入れ、
愛することから自然と内側から変化していくことです。
それはタンポポが薔薇ではないからといって非難するのではなく、
タンポポを薔薇に変えようとしたり、黄色の色を赤く染めようと
するのでもなく、無理やりつぼみを開けようとするのでもなく、
ただ自然と芽が出て、つぼみとなり、花が咲き、そしてタンポポの
綿毛となって種が風に吹かれて散っていく変化を見守るようなものです。
どうせ咲くなら、全力で綺麗な花を咲かせたいものです。









