
最近の自分自身の悩みとして、なんで
もっと、優しくなれないんだろう‥‥
なんで、もっと強くなれないんだろう
‥‥と‥‥
そして、なんとか、その辛さから脱皮し
たくて、ひとりで解決したいけど、
自分の心の中の力だけでは、到底無理だ
ったので、テンションを戻し笑顔に
なるために、自分を勇気づけてくれる本
はないかと、ブログはないかと‥‥
必死に探した。
そして、見つけた。そして、救われた。
「私は、いつも強く優しい人間でありたいと願っている。願っているだけ
で完璧にできるほど容易なことがらではないから、おそらくこれは、永遠
のテーマになるだろう。けれども、完璧になんてできないからこそ、そう
ありたいと願い続けている。
「強さ」って言うのは、言うまでもなく、誰かに勝つ事でも、誰かを打ち
負かすことでもない。本当の「強さ」とは、自分の弱さに気付くこと、
自分の弱さを認めること、自分の弱さを乗り越えること、自分に与え
られた課題や境遇に負けないことである。誰かに勝つことに対する執着は
心のない人が抱く願望であるが、自分自身に勝つ事を諦めない信念は、心
の大切さを識っている人が持つ目標である。だから、行動や事柄はなんら
関係がない。つまり、全く同じ結果を求めるとしても、意味が全く異なっ
ている。と言うことである。本当の強さを持つ人は、自分のためだけでな
く、他の誰かのためにも同じことをすることができる。勝利の結果や目に
見える形にこだわる人は、自分のためにも、誰かにそれを求める。何事も、
安直に描写でも、安置に描写できる形ではなく、その裏にある「心」が大
切だと思う。
「優しさ」って言うのは、もちろん、「何かをしているのだ」と目に見え
る行動で役割を果たしたり物を与えることではない。本当の「優しさ」と
は、見えないところでも優しい気持ちになれること、時には優しさによ
って生み出される自他に対する厳しさを持つこと、何かを必要としている
人にバレないように何気なく提供すること、人の優しさに敏感であること
である。だから、行動や事柄はなんら関係がない。「万人から『優しい』と
許される行動」を受けて喜ぶのではなく、「例え十分ではない行動であった
としても、その裏にある心の優しさ」に敏感に、そして素直に感謝でき
る人でありたい。優しくない人は、挫折に打ちひしがれ傷ついた人に
気付かない、あるいは、気付いても見て見ぬふりをする、ひどい場合には、
挫折を責めて傷に塩を塗る。本当に優しい人は挫折には気付かないふりをし
て、うちひしがられた心に温もりをそっと手を差し伸べる。そして、根気よく黙って見
守る。
しかるに、強さと優しさは、一体であると思う。優しさを持つ人は、強
さを持つ。強さを持てる人は、優しくなれる。強さを持つ人は、人に強
いエネルギーを与えられる。優しさを持つ人は、人にも優しい心持ちを
与えられる。
勝つ事にこだわる人は、本当の強さを持つ人を認めることができず許せな
い。見せかけの優しさで取り繕う人は、本当の優しさを持つ人の優しさにも
気付けない。勝利や見せかけの優しさを印籠のようにかかげる人は、本当の
強さにも優しさにも触れる機会に恵まれないばかりでなく、人にもウィルス
のように「勝利にこだわるだけの執念や、行動だけで言い訳の優しさ」の習
慣を伝染させてしまうが、自分が本当の強さや優しさを持つ人は、自分自身
がたくさんの誰かの強さと優しさに恵まれるだけでなく、自分からも人に多
くを与えることができるものだと思う。
一見、同じように見えることでも、その裏にある「心」に目を向けると、恐
ろしいほどの違いがあったりするものである。
また、一見、全てをうまく完結できたように見えることでも、その裏にある
「心」の所在や所以を辿れば、あれこれと浮かんで来る課題も見つかるもの
である。
例えば、 「妥協」と「尊重」の違い。説明は不要であろう。
「見逃す」と「受け容れる」の違い。
「こなす」と「まっとうする」の違い。
「折れる」と「許容(ゆる)す」の違い。
「求める」と「愛する」との違い。
「後悔」と「反省」の違い。
「行動の正しさを主張する(正当性を主張する)」と「正しき心に自信
を持つ」の違い。
「思っていると表明する」と「黙って思いやる」の違い。
「執念」と「信念」の違い。
人はみな、 自分の行動が、自分のどんな心から生まれでているものであ
るか を見つめられる状態でありたいものである。
やったこと、とった行動いかんではなく、たとえ一見、ひどい行動に見えることでも、
相手を尊重するがためにあえてすることもある。尊重され、思いやられた上で取ら
れた行動であれば、人はみな、少なくともまともな人ならば、自分を人として尊重し
てくれた上で、最大限、誠意を持って応対してくれたのだと感じるものである。たと
え、ひどい行動に見えたとしても、行動している本人が「ひどい」と見えることを認識
した上で、けれどもその行動を取るのだと言うことを誠意を持って選ぶなら、人に
は、少なくとも心ある人には、理解されるだろう。
言い訳の余地を残すことは、最後には、自分を苦しめることになる、少なくともまと
もな人ならば。心を失った人ならば、言い訳の余地を残すことで、安心感を覚える、
または、現実を直視しないで逃れようとする。どんな行動にも、人それぞれの理由
がある。それらに、正しいも、正しくないもない。自分自身で、その判断に自信があ
り、心を持って判断したことであれば、人は納得するものである。あるいは、例え、
人に納得されずとも、自分では納得できるものである。人からの納得よりも、自分
の中の納得を得ることは、何よりも優先すべきことである。誰もが、自分を大切に
することを、祖末に扱わないことを、優先すべきである。」
様々なことが、世の中には起こり得る。けれども、私は、どんな事にも、正直に、誠
意を持って応対できる人でありたい。強く、優しく、広く、ありたい。永遠のテーマで
あろう、この、貴き課題は、私にとっては譲れない、大切な大切な命題なのである。







