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《生きるとは》

芳村思風

人間において生きるとは、
ただ単に生き永らえる事ではない。

人間において生きるとは、何のためにこの命を使うか、
この命をどう生かすかということである。

命を生かすとは、何かに命をかけるということである。
だから生きるとは命をかけるということだ。

命の最高のよろこびは、
命をかけても惜しくない程の対象と出会うことにある。

その時こそ、命は最も充実した生のよろこびを味わい、 激しくも美しく燃え上がるのである。

君は何に命をかけるか。
君は何のためなら死ぬことができるか。
この問いに答えることが、生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である。

先日、感性論哲学者の芳村思風先生の講演会に行かせて頂きました。
感想は、日本人の素晴らしさ、と許しあう生き方が大事ですべては愛ということだと。 何事においても最後にたどり着くのは愛です。
もともと、経済とは大昔の物々交換から始まって現在の貨幣社会になっている。
金の奴隷にならないようにしていかないと社会が狂ってくる。
経済のあり方には、根底に愛が元々は、あったはず。
愛しているつもり→相手に伝わっていなかったりそれを感じていなければ、身勝手な愛。

~~つもり の労働も身勝手。お客様にも同じ職場で働いている仲間にも喜んでもらわなければ全部、身勝手な愛。相手が幸せだと感じてくれていなかったら幸せだと感じてもらうまでの努力を諦めない。

経済のあり方 → 人に喜んでもらえる仕事。結果を出さないと価値が無い。

そこで、人間力。人間が人間として本物になるため政治力、経済力、教育力、などを身につけなければいけない。

人間として生まれてきて、狼に育てられた狼少女の話は、皆さん知っていらっしゃるかと思いますが、生まれてすぐに狼に育てられたので、推定7歳くらいの時に見つかった時は、骨格が四足の構造になっており、無理に立たせても、ちょうどチンパンジーが立って歩くようにしか立てない。ものを食べるために皿を持たせても、すぐに下に置いてしまい、ペロペロなめる。
そんな食べ方しかできない。言葉は単語をだいたい50前後覚え、発音はできるのだが、何を意味しているか全く理解できなかった。耳で聞いた音をオウム返しに発音しているだけで、意味と結びつけては理解出来ない。単語と単語を結びつけるニューロンの結びつきが全然出来ないから、考えるという事が出来ない。
しかし、オオカミの感性は立派に持っている。 いろいろな状況に対する判断、逃げなければならないか、このままいても安全か、といった感性はすごく発達している。オオカミとして積み重ねた体験や経験からくる知恵、オオカミの知恵はあるのだが、言語を根底にした抽象的思考能力がまったくない。したがって理性もない。人間に戻そうと随分努力したのですが、とうとう理性を獲得できなかった。似たようなことはするが人間には戻れない。人間に戻そうという無理があったのでしょう。16歳頃に死んでしまいました。

この例から見てからも解るように人間の子供に生まれたから理性がある、などと思うのはとんでもない間違いなのです。人間の子供に生まれても、オオカミにさらわれたらオオカミになってしまう。ということは、人間が人間になるのは、そう簡単なことではないということです。人間の子供に生まれ人間の社会の中で成長し、人間の手によって育てられることがなかったら人間は人間にはならない。

ここから、「人間であるとはどう在ることか」という問いが出てきます。
ここから続きは、次回に‥‥

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